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決めること


おはようございます


今日も書いていきます



眠ること


眠気が酷いとき、なんとなくの倦怠感がある時

自分にとってちょうど良い時間に眠る、体内時計を戻せば良いだけなのはわかってるんだけど

眠ることや休む事を意図的にやると

その事について考え出す

何も考えないようにしたり、動物を数えたりしても

何も考えない事を考えたり

それを皮切りに全然別の事を思い出して思考を巡らせたり。


無意識、ぼーっとしてる時はよくある

人に聞かれれば何も考えてないって答えたり、聞かれてから言葉を探したり

いちいち自分の感じている事を他人に伝える為の言葉に変換する必要性を感じる事が少ないから、というより

そんなことをしだしたら一生頭が休まらなくなる

自分が心動かされたもの

感動した事を言葉にする、細かくわける理由はない


自分が感じている沢山の事は

自分が理解するだけならみた瞬間に終わる


けどそれを外に伝えようとすると

ずっと終わらない

自分と他人は違うから、思ったことをそのまま伝えても

相手が感じとる事は違う

思ったことを伝えても、伝わらない

感じたことを言葉に変換した時点で、自分の中でも意味が変わってしまう


他人に伝えようと言葉にする事がそもそも自分にとって不自然な状態だから違和感を感じる

生きていく上でそれはいけないことだとわかってるから、それでも言葉にいちいち変換しないといけない


(○○○)楽しい(○○○)

(○○○)嬉しい(○○○)

真ん中を伝えるので精一杯


気持ちを表現するための言葉が世の中に無い訳じゃない

なれてないから、ちゃんと伝わって欲しいから

考えを終わらせる事が出来ない


休むときはしっかり休め、なにも考えるな

夜寝れない時は色々考えちゃうとかどうでもいい

自分の事だけで良いなら、考えることなんてない

毎日あっという間に眠れる

そうやって楽に生きてると今度は

無関心、無感情の冷たい奴って言われだす


考えると、他人に考えすぎは良くないと言われる

自分が感じたことだけでいると、他人にもっと何かに興味を持てって言われる


気にしないというのは死ぬことと同じ

意識しているんじゃなく、無意識に入ってきてしまうものを拒むことは出来ない

自分はいろんなことに気づいてしまうというのはもう前提で、変えようがないことだから

そこからどうするかという選択肢しかない


他人にどうみられるかはどうでもいいけど

自分(他人)が自分をどうみるかはどうでもよく出来ない


誰でもじゃなく、一部の友人と声を出して話しているときだけは

心が休まっているのを感じる


理由は、いろいろあるけど


もう休もう





どうでもいい話しに付き合ってくれてありがとうございました

どうでもよくないから文字にした気もするけど


頭と体がちょうど一緒に疲れてくれれば良いのに

ぼぉんうやーよ い こだ ねぇんねっしっなっ


ゆっくり休んでも良いんだよ

疲れてるんだから




おしまい


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