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【DAY 17】続編のある映画 「ハッピー・デス・デイ」

DAY 17
favourite film sequel.
続編のある映画

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「ハッピーデスデイ」(2017)
クリストファー・B・ランドン監督
ジェシカ・ローテ、イズラエル・ブルサード、ルビー・モディーン、レイチェル・マシューズ、チャールズ・エイトキン

女子大生のツリー(ジェシカ・ローテ)が目を覚ますと、ぱっとしない男子生徒のカーター(イズラエス・ブルサード)の部屋だった。本日9月18日は彼女の誕生日。しかし前日に飲み過ぎたらしくひどい頭痛で、あまり記憶がない。カーターに「誰にも言うんじゃないわよ」と言い残して自分の寮に戻る。すれ違う人や自分のルームメイトに傍若無人に振る舞う彼女。父親との食事もすっぽかして不倫相手のグレゴリー教授(チャールズ・エイトキン)に会いに行く始末。ビッチなのだ。しかしその夜、パーティ会場に向かう途中に、謎のお面を被った人物に殺される。

ツリーはそこで目が覚めた。カーターの部屋だ。全く同じタイミングで同じ言葉をかけてくる。部屋を出ても、すれ違う人たちの顔ぶれも起きる出来事も全て同じ・・、どうやら9月18日が繰り返している。ということは、今日も殺されてしまう!との恐怖から、別の道を通って無事にパーティへ向かうものの、今度はパーティの最中に殺される。

目覚めた彼女は、今回は自室に閉じこもることにしたが、なんと部屋に潜んでいた犯人に殺されてまた目覚める。いったい犯人は誰なのか。何しろ性格が悪いため、思い当たる相手が多過ぎて絞りきれない。彼女は何度も何度も殺されながら、次第に真相を突き止めていく。

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「続編」というこのテーマは、結構奥深い。というのは、既知の名作に続編を作ってしまうと、けっこうな賛否両論が湧き起こるからだ。
ヒット作の続編は興行収入を稼ぎやすいから、そもそも製作費がぐんと上がる。そのため、よくなる場合はいちだんとよくなる。しかし、スケールが大きくなって装飾が増える分、映画のキモである「設定」は前作をなぞらざるを得ず、よっぽどのアイデアを追加しないことにはどうしてもレベルは落ち、だめな場合はとことんだめになる。

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でも僕は、たぶん他の人に比べると「続編」にはけっこう寛容で、「面白かったなあ」と思うことが多い。「ターミネーター」(1984)でモンスターの役割だったT-800が、「ターミネーター2」(1991)でヒーローになっちゃうのは巧みな演出だった。同じくジェームズ・キャメロンが監督した「エイリアン2」(1986)は、「エイリアン」(1979)の炎や粘液の質感が伝わる傑作ホラーを、シガニー・ウィーバー大暴れのアクション大作にしてしまった。サム・ライミ監督が35万ドルの製作費で作った「死霊のはらわた」(1981)の続編「死霊のはらわたII」は、前作の10倍の予算をもらったところ、やりたい放題。右手との大乱闘とか、鹿の剥製の大爆笑とか、他では観られないシーンが満載となった。これについては1より2の方が好きだ。
逆に、2は一段とつまらなかったなあ、という映画は少なくて、ぱっと思いつくのは「ザ・セル2」(2008)くらいだろうか。

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そんな良作が名を連ねる中の「ハッピー・デス・デイ」である。続編は「ハッピー・デス・デイ 2U」(2019)。今度は「1」でまったくのちょい役であった、カーターのルームメイトであるライアン(フィー・ヴ)にループの症状が現れ、全ての伏線を回収していく。日本では最近になって1と2が立て続けに公開されたので、まとめて観た人が多かったはずだ。

ちょっと言い過ぎたことも書いてもいいかな、このシリーズの、「1」と「2」の必要十分な関係性は、誰もが認める映画の王様である「バック・トゥ・ザ・フューチャー」(1985)と「バック・トゥ・ザ・フューチャー PART 2」(1989)に並ぶかもしれない。

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「ループもの」である。主人公がタイムスリップをして、同じ時間を何度も何度も繰り返すというSFのジャンルだ。最近でも「ミッション:8ミニッツ」(2011)や、トム・クルーズ主演の「オール・ユー・ニード・キル」(2014)など、良作が多い。系譜を辿っていくと、作中でも紹介されているビル・マーレイ主演の「恋はデジャ・ブ」(1993)が有名。しかし、遡ることさらに10年前、押井守の「うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー」(1984)がすでにやっていた。そのため、日本ではアニメやラノベなどにおいて、「ループもの」が正統なジャンルとして確立していったようだ。また最近、西澤保彦七回死んだ男」(出版は1995)を読んだのだけれど、これがまさに「ループして犯人を探すミステリ」という構造だった。本来は超常現象を起こすべきではないミステリ界において、「SFの設定の本格ミステリ」をやってのけていた。

余談だけど、「恋はデジャ・ブ」といえば、駒込の街に立っていた公共の掲示板に、こんな張り紙が貼ってあった。いったい何のためのものなんだろう、まさかDVDの発売元が貼ったわけじゃないよなあ・・。

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本作は、主人公のツリーがとにかくビッチである。「13日の金曜日」(1980)「スクリーム」(1996)などのスラッシャー映画において、いや映画に限らず「名探偵コナン」や「火曜サスペンス劇場」もそうか、だいたいこういう奴が最初に殺されがち。それを逆手に取ったわけだ。

ツリーは、何度も殺されて苦労しながらも、ようやく犯人に行き当たり、次の朝からやり直すためにその日はとりあえず自殺をする。そして迎えた解決の朝、すっかり改心した彼女は、周りに優しく、品行方正に朗らかに、あらゆる人を幸せにして回る。そしてついに犯人を撃ち殺してめでたしめでたしと思いきや、目覚めるとやはり9月18日・・、という仕掛けがある。その日の朝の暴れ具合が痛快だった。性根はすぐには直らない、ということか。

こういうアンチヒーロー/ヒロインって、「ハーレイクインの華麗なる覚醒 BIRDS OF PREY」(2019)然り、女性だからこそ、ポップなエンタメとして成立するような気がする。性悪な「ビッチ」には、不思議とどこか愛せる要素があるのだ。これはアメリカのハイスクールやカレッジ特有のキャラクターであり、群れがちな日本の「ギャル」とはまたひと味違った風格がある。一方男性の場合は「クズ」はどうしてもヴィランとして使うしかなくて、一人称にならない。

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