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思春期の記憶の優しさに救われる

突然、唐突にすべてを捨てたくなることがある。
環境、人間関係、生き方。そういったものすべてを捨てたくなることがある。明日も自分を生きなきゃいけないことが、とても苦しくなることがある。

まわりのものが全部が凝り固まって、私にまとわりついている感覚。根っこが詰まってカチカチになって、水を吸わなくなった植物の土みたい。そんな感覚に陥ることがある。

苦しい。窮屈。だから全部捨てたい。

そういうときは大抵、自分に何か不足を感じている時だ。今の私には何もかもが足りない。頑張ってももがいても、理想と現実の差が埋まらない。こんなんだったらいっそやめたい。田舎に帰りたい。

そういう思考に陥った時、私を救ってくれるのは、アイドルグループ「嵐」のアルバムだ。


思春期の始めの方にあたる小学校高学年から中学2年生くらいの頃。その頃私は、嵐に心酔していた。それはまさに「心酔」という表現がぴったりで、「ハマる」なんていう生ぬるいものじゃなかった。

嵐の5人、そして嵐の音楽が大好きになって、心の底から酔って、メロメロで、拠り所で、つらい時の心の支えだった。それと同時に、嵐の5人が発する言葉や歌詞は、私の心を成長させてくれたものでもあった。

小中学生なんて、非常に多感な時期だ。そして、ピュアすぎる。いろんなものを、そのままにぐんぐん吸収する。まわりのものを穢れのない目で信じ切って、まだ知らない未来や世界に思いを馳せて妄想する。傷つくことも、傷つけることも恐れずに恋愛をする。友人関係においても、いちいちちょっとしたことに傷ついて、悩んで、頭が痛くなるまで泣いて、すべてを血肉にする。

初めて買ったのは、嵐の「Time」というアルバム。小学校6年生のときだった。
嵐に関しては、歌詞をものすごく吸収したように思う。CDコンポで嵐のアルバムをかけ、歌詞カードに穴があきそうなくらいに歌詞を見ながら聴いていた。前向きな歌詞が多くて、当時習い事や勉強を頑張っていた私はすごく励まされたのを覚えている。
それだけでなく、いちいち歌詞に共感し、教訓にし、私の思考や考え方さえ形成してくれたように思う。

もちろん、あの頃のすべての記憶がちゃんと形状として残っているわけではない。
どんなシチュエーションでどんな曲を聴いていたかなどもあまり覚えていないけれど、12〜14歳頃に耳にタコができそうになるまで聴いていた嵐の音楽には、今でもその頃の強く優しく柔らかい記憶や、あたたかい温度が宿ったままなのだ。あまり記憶にはもう残っていないのに、ひどく優しい。

そんな音楽に、私は25歳になった今でも、今と未来を生きて行く勇気をもらっている。

あの頃から随分音楽の趣味は変わった。ジャンルでわけると、ジャニーズのようなJ-Popよりも、ロックのようなバンド音楽の方が好きだ。

それでも、つらい時はどんなに今好きな音楽よりも、嵐の音楽に縋ってしまう。本当につらくてすべてを捨て去ってしまいたいときに静かに寄り添ってくれるのは、私には嵐の音楽だけなのだ。あの頃の記憶の温度が宿った曲たちだけなのだ。

過去の記憶が宿った思い出は美しくて、包容力があって、優しい。私の場合は音楽だったけれど、それらは人によってさまざまだろう。昔の友人にもらった手紙かもしれないし、はたまた故郷の景色や思い出の場所かもしれない。

真面目でしっかり者ほど、今や未来のことを考える人が多いように思う。今や未来に必死になって、過去は頭の片隅にしかないような人もいるだろう。

実際私がそうだ。真面目だと自分で言うのもあれだが、私は心配性で臆病だから、未来のことばかり考えてしまう。今の自分に満足できず悩むことも多い。頭を占める過去の割合はすごく少ないように思う。

過去ばかり見ていると前に進めないと主張する人もいる。それは確かにそうかもしれない。しかし、未来ばかり見据えるのもまた、前に進めなくなる原因になりうる。

「まだまだ私なんて、何も手に入れていない。まだまだ理想に程遠い。」前向きなのはいいことだが、そうやって未来だけ見据えていると、今まで自分が頑張ってきたこと、成し遂げてきたことをうっかり忘れてしまうのだ。そうしてふとした瞬間、心が折れそうになることがある。実際私は本当に、それはそれは頻繁にある。

だから、たまには過去に縋る時間があってもいいと私は思う。
過去の記憶は、今道半ばで頑張っている私を支えてくれる。それに気づいてから、苦しくなった時にはこれまで歩いてきた道のりを振り返るようにしている。
そしてまわりとじゃなく、過去の自分と比べてみる。
そうさせてくれるのが、自分とだけ向き合わせてくれるのが、過去の記憶、思い出、過去の記憶が染み付いた品だと思う。

優しい過去の記憶を持っているなら、いつだって記憶を巻き戻したらいい。過去の記憶とともにある品をひとつ、手元に置いておくと、少しだけ肩の力を抜いて生きられる気がするのだ。

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