ちちの死がむすめの生になった話

私の第二の人生は父が急死したことから始まる。


長野から上京をして、将来は素敵な人に出会って結婚して、かわいい子どもとマイホームで犬と戯れる!を夢に抱いていたかわいい女の子だった。

憧れの東京で社会人になって1年が経ったばかりで、彩り豊かな絨毯が道に広がる季節、父は急死した。長野に帰ると毎回焼き肉を用意してくれて、東京に戻る時には「元気でやれよ」と一言だけ背中に投げる寡黙な父だった。

私はわんわん泣いた。涙のダムが緊急放出されて止めるに止められなかった。私はわんわん泣いた。台風の目からそれた後の大雨にも負けないくらい泣いた。台風の後には晴れ渡る空がお目見えするのに私の元には一向に台風一過が来ないからわんわん泣いた。いつか私の元にも台風一過がきます様にとわんわん泣いた。

「なかなか顔を見せれずごめんなさい」

「ウェディングドレス姿みせれなくてごめんなさい」

「孫を抱かせてあげれずごめんなさい」

私はなんの親孝行も出来ない駄目な娘だ。と自分をボッコボコに痛めつけた。

私は人々が手にする幸せを手にいれられないまま父を天国に見送ってしまった。

少し落ちついて、父の死と向き合い始めたら、今度はごめんなさいダムが決壊して罪悪感が大量放出されて止められなかった。たくさんたくさん謝らないといけないことがたくさんたくさんよぎり、濁流に私が飲み込まれそうになった。それからしばらくごめんなさいダムをを背負いながら過ごした。めちゃくちゃ重い。もちろん、防波堤はまだなく、ひたすら罪悪感は流れ続けた。

罪悪感の濁流に飲まれて溺れそうだった時に、浮き輪を投げ入れてくれた人がいた。その人は、言った。

「娘の結婚や孫を見ることが本当にお父さんにとって幸せなの?」

いやいやいや、結婚式して、孫をみせることが子どもの役目だし、幸せでしょ?

「本当はどうしたい?」

本当は?いや、そんなのもちろん結婚…したくないな?あれ?よくよく考えたら子ども苦手だし、一人でいた方が楽?

「お父さんは娘がそんなに悲しんでたら心配で天国いけないんじゃかいかな」

………………。

「娘が、自分のためじゃなく、自分のしたいことを楽しくしてることが幸せなんじゃないかな」


………あぁ。私は私の幸せを見ないふりして、父が思うであろう幸せを勝手に決めつけて、結婚や孫を見せようとしてたわ。それがお父さんにとって幸せでしょ?嬉しいでしょ?孝行娘で幸せでしょ?って決めつけてたよ。

違うよね。お父さんは私の健康をいつも気にかけてくれてたよね。たくさん美味しいご飯送ってくれて、家に帰ったら美味しいご飯出してくれて、また頑張れって送り出してくれただけで、結婚とか孫とかの話なんて一言も言わなかったよね。「元気でやれよ。」ぶっきらぼうに投げてくれたね。私、大切なことを忘れてたよ。

親のためにと思っていたことが、自分のエゴからくるものだったね。かわいい娘が生きたいように生きることがきっと親の幸せなんだろうなって。まだ親になってないからわからないけど。でも、自分が親になったら子どもに同じことを言うと思う。 なにをしてもいい。好きに人生送ればいい。ただひとつだけ。こう言うわ。

「元気でやれよ!」

いつの間にか、ごめんなさいダムには防波堤ができていた。いつの間にか私の上にも台風一過は来ていた。

そしてようやく、私の、私による、私のための人生を生きることにした。

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