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余命3日の子と最後の会話

 「余命3日を宣告されて、まだ生きてるの」と言われて、思わず聞き返えしてしまった。短期大学時代に知り合い、一緒に大学へ編入学して、同じバイトも2つ経験した友人だ。

 出会ったのはもう20年以上も前の話。当時「ダメンズ」という言葉がはやったのだが、彼女の人生は漫画にでも出てくるような、まさに「ダメンズ」と結婚して、転落していった。

 彼女はダメンズと交際が一度は終わったはずだった。「違う女性とのホテルの領収書をみつけた」。肩を落としていた彼女に対して、心底よかったね!と思ったのも、つかの間だった。「やっと彼の子を妊娠したの。もうホントに別れようと決意したけど、できたの」。言葉とは裏腹に嬉しそうだった彼女を覚えている。

 もともと腎臓が弱かったのに、出産がきっかけとなり、体調は悪化。パートナーの浮気癖は治るどころか、彼女の病気の進行とともにどんどんと距離ができて、完全に破綻していった。

 医師から言われた余命を過ぎて10日後ぐらいに、私はとにかく時間を作って会いにいった。パートナーは違う女性と同棲しているにも関わらず、彼女はパートナーの親(つまりは義母)と中学生になったばかりの息子、そして義母の交際相手と同居。その環境を聞いただけでも、私にはこみ上げてくるものがあった。腎臓の悪化から透析を繰り返し、さらに病魔はガンを呼び込み、転移が止まらなかった。がりがりに痩せて、青白い顔だった。

 「ありがとう。私はあなたと、青春時代を共に過ごした。バイトした後に、そのお金を全部使う勢いでマックに通って…。ホントに楽しかった」。私の紹介した慶応ボーイと別れた直後、行き場のない彼女と少しだけ同居したこともあった。

 「なんで、こんな風になったのかな?私、あなたが嫌がるの承知で、ずっと結婚にも反対してしまってごめんね…」

「なんで…、耳を傾けなかったのかな…」

「息子には、言いたいことは言い切ったの?残りの時間、SNSにいっぱい投稿しておけば、それは後々読めるよね…」

「いや、手紙をね、残してる」

「残される方はね、それじゃ足りないよ」

その後、数日、ラインでやりとりしたけど…。ぱったりと途絶えてしまった。

 私は、その後、狂ったように、書いている。私の職業を大きく括れば記者だ。書くことは使命。

 言いたいことなんて、言い切れないんだよ。


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