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無意識な自分へのダメ出しからの脱却

自分に無意識でダメ出ししていませんか?

イエローカード!レッドカード!と笛がピーピーなりつづけているのが
自分の中で繰り広げられている状況を想像したら、
目と耳を塞ぎたくなって、動けないのも当然。
身体もギュッとなって、エネルギー消耗もする。

イメージするとわかりやすい。
嫌だな、そんな状況。
そういう状況を自分で作っているのか。
やめようやめよう。
物理的にテレビのスイッチをオフするように出来たら簡単。
でも、思考や感情のように実体のないものは、
なかなか難しいと感じるかもしれない。
でも、やめよう、ダメだししてることを。
と決意することで、変化の兆しをもたらす。
出来ているのか?とか気のせいにせず、微細なその変化を汲み取って、
小さなことでも、いいね!とOKサインを向ける。
時には、ズレを修正するための厳しさも必要になるが、
緩めて、絞っての両方があってこそ。
それは、思考だけでどうにか解決できるものでなくて、
その時その時の私の感覚が先にある。
そのあとに思考を使う。
今、私、○○と感じてる。
身体の○○に反応がある。
思考を使っての言語化により、私は、私の感覚を認知する。

生きてきた過程で培った感覚。
その積み重ねが自分の感覚=センスを研ぎ澄ましていく。
センスっていうけど、それって、その人が何を見てどのように感じたか、
そして、どのように動いて、そこから何を感じたかの実践検証の
繰り返しの賜物。
包丁を研ぐというけど、
研ぐ行為は、より良く使えるように、道具を整えるため。
そのように、今の自分が感じることを
キャッチする感覚(センス)が整っていくことで、
誰かの言葉を受け取った時の感覚(身体の反応)など、
何かを感じたときに、「あ、そういうことか」と腑に落ちて
いらないものに気づいたり、緩めたり、微調整をしようとする。
そして、こうしよう!と自ら湧いてきたことに沿って行動をする。

今の自分は、地上での積み重ねてきたものの最上級。
それ以上はないから、そこをまずはOKを出さないことには、
前に進めないでしょう。
ダメダメ言いながらやるのって、足枷つけて進むようなもの。
足枷ついていたら、しんどいからもう無理~となることも。
不要な足枷ついてるよ!って、常に教えてくれるのは、
目の前にいる他者や環境。
「今の自分」という現実をそのまま見る、気づくきっかけを自分で掴む。

そして、少し欠けているところがあるなら、
そこを研ぐ。=そのように行動する。
私は何を調理したいのか。
だれかのレシピ通りやっても、自分の感覚なしでは出来ないし、
自分のものになったという実感はない。
同じレシピで作っても、仕上がりが違うのは、この感覚の違いだろう。
成功か失敗かに囚われす、子どもが「できたー!」と全身で喜び、
その体感を味わうように、
大人になっても、自分で動いて出来たことを、
まずは味わい受け止め続けていけば、
駄目だしする思考ループにハマることも減ってくるはず。
結果は、自分が出したものに対する確認だけ。
そうか、今の私は、これが最上級=限界。
それをよその誰かと比べての批評は、落ち込むだけならする意味がない。
誰かと比べるのは、私の中で足りない部分や弱いところ、
逆にいいところを知るきっかけに過ぎない。

自分に駄目だししても意味がない。
わかっているのにしてしまう。
それが無意識の作用。
無意識を意識化するのに、どうすればいいの?
それこそ、自分の感覚、五感を研ぎ澄ましていく。
それを観察して、思考して言葉にすることの繰り返しが、
無意識、癖、反射からの脱却のきっかけになる。


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