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違和感を感じたら、誰がどう言おうとそれは違和感なんだよな

喉に違和感を感じたら、薬を飲むか病院へいく。
そこに「病院へ行ってはいけない!」という他人の気持ちや価値観は介入しないはず…。だって私は喉が痛い。それを治したいから行くのよ病院へ。飲むのよ薬を。

なのに人間関係のことになると鈍るの、なんで。
いい人なんだけど…ありがたいんだけど… …苦しい。
みたいな違和感を感じたとき、なぜかそう思ってはいけないような気がする。彼らは周りから見るといい人であり、実際よくしてくれていたりする。はじめは全て厚意から。

だからこそ「こんなにしてもらっているのに、そんなことを思うなんて良くない。異常だ」とストッパーをかけなければいけない感覚に陥る。自分の感じたモノなのに、言葉に出すと自分が悪になってしまうような怖さがある。

喉の痛みを解消するように、人間関係の違和感を治したい場合(という表現はおかしそうだけど)あなただったらどんな対処をしますか?

私はまず、”そんなこと”を思ってもいいんだよ、と許していく。

こんなテーマで新作のZINEを書き進めています。
自分なりの対処法を考えながら、どう捉えられてもどう感じられても、まずは自分を許すため、一旦吐き出してみることにしました。
視野が狭い自分を俯瞰してみてまた修正しつつ完成を目指してがんばります。

試し読み(ページ抜粋)

つづく

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