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四号車、暗黒専用車両



 いつの間にか目の前に枯木が座っていた。


 座るのだから本当の木ではないのだろう。だが細く奇妙に歪んだ灰色の体躯は人型でありながら明らかに人ではない。枯木と表現するのが最も良いように思えたのだ。

 私は呆気に取られた。ほんの少し考えて、私はついさっきまで仕事帰りの電車の吊革に掴まっていたことを思い出した。夢か。そう思いたかったが、五感すべてに奇妙な現実感があった。そもそも私は、立ったまま眠るなんて器用なことはできなかった。


 その時、目の前の枯木がゆっくりと蠢いた。「…そこの人、ここは暗黒専用車両ですよ」


 枯木は確かにそう言った。…暗黒専用車両?私は辺りを見回した。場所は確かに先ほどまでの電車の中だ。だが乗客は違う。枯木の他にも多くの乗客がいた。丸・三角・四角の輪郭。何もかもが異質。
 だがその雰囲気には覚えがあった。女性専用車両に駆け込んだ時のあの疎外感。なるほど自分は今それに近い過ちを犯しているのか。
 目に映る異常な状況への驚愕は何故かあまり感じなかった。それよりも、羞恥心が私の心を塗りつぶした。

 その時、車内アナウンスから笛のような音が流れて電車が止まった。ドアが開く。…駅に着いたのか?
「さあお行きなさい」
枯木はまたもこちらに囁いた。
さっさと出て行ってくれないかしら。乗客たちはそう言いたげだ。私は曖昧に頭を下げると、逃げるように列車を降りた。

 どこまでが専用車両か分からない以上、一旦降りた方が良い。

 そう考えながら電車を降りた瞬間、ドアが閉まり、電車が発車する。
「ちょっと…!」
思わず声を上げる。過ぎゆく列車を呆然と眺めた。

…どの車両も客は「暗黒」ばかり。少なくとも自分が乗れる車両は無さそうだ。
最後尾の車両が目の前を通り過ぎた瞬間、私はあるものに目が止まった。
…「暗黒」に混じって人間がいる。しかも私は彼女に見覚えがあった。

 彼女は私の妻だった。…4年前、死んだはずの。

【続く】


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