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民間通貨は法定通貨を駆逐できるか

この記事は最近書いた経済理論論文の要約です。(論文のリンクはこちら。https://doi.org/10.1007/s42973-020-00054-8 )この論文では貨幣流通についての新しい理論を提示しています。標題の疑問について、この理論から導かれる予想を書きたいと思います。

伝統的な貨幣理論

論文の説明の前に、経済学における伝統的な貨幣理論の説明から始めます。経済学の教科書では、通常、以下の三角図のような形で貨幣流通の必要性を説明します。

欲求の二重一致の欠如

図1 欲求の二重一致の欠如

この図では、A,B,Cの三者の間で、AはCの、BはAの、CはBの生産物をそれぞれ需要することが表されています。なので、二者間での直接の物々交換では、物やサービスがうまく流通しません。

この問題に対する一つの解決策は、信用払い(つけ)で物・サービスを売ることです。下の図では、Aが手形を発行して、Cの生産物を買い、CからBにAの手形が流通して、三者間での物々交換が成立しています。

手形流通

図2 手形の流通

この解決策の弱点は、Aが自分が振り出した手形を履行するとは限らないことです。手形の履行を拒否するとAは新しく自分の手形を振り出してCから物を買うことができなくなる、というようなレピュテーション(評判)の制約や、裁判所による手形債務の履行の強制がない限り、Aは自分が振り出した手形を履行するインセンティブを持ちません。これは、BやCが手形を振り出す場合も同じです。

しかし、A,B,Cの中に信頼できる手形を振り出せる人がいない場合でも、貨幣があれば問題は解決します。それを示すのが以下の図です。

図1

図3 貨幣の流通

この場合、Aは貨幣を得なければCの生産物を買えないので、貨幣と交換に自分の生産物を売るインセンティブがあります。これはB,Cについても同じです。その結果、もし自分以外の他者が貨幣を受け取ると期待するならば自分も貨幣を受け取る、という貨幣均衡が成立することになります。貨幣均衡では物・サービスと貨幣が二者間で交換されるので、信用取引は不要になります。その結果、債務不履行の心配もありません。

このような伝統的な貨幣理論では、貨幣の発行主体に特段の条件は付きません。なので、偽造や毀損をしにくい貨幣であれば、政府(中央銀行)が発行する貨幣でなくても貨幣均衡が成立しうることになります。このアイデアを実装したのが、ビットコインです。よく知られるように、ビットコインでは、マイニングによるビットコイン残高の付与を除けば、P2Pネットワーク上に記録される一定量のビットコイン残高がネットワーク参加者の間で循環する設計になっています。また、ビットコインに続く暗号通貨の開発も活発に行われ、DeFiのような、政府が発行する貨幣に依存しない決済・金融システムの構築を目指す動きも見られます。

伝統的な貨幣理論の弱点

伝統的な貨幣理論の弱点は、図2に示されるような信用払いの代替として、貨幣による支払いを位置付けることにあります。そうすると、現代経済で広汎に存在する企業間信用などの信用取引で発生する債務が、通常、貨幣での返済を求められる名目債務であることが説明できません。伝統的な貨幣理論をそのまま当てはめれば、貨幣による支払いは信用払いができない場合に必要になるので、信用払いが可能なら貨幣の使用は不要になるからです。また、どのような貨幣でも貨幣均衡が成立しうるので、なぜこれまで法定通貨のみが各国で流通してきたのかという基本的な疑問についても、理論のスコープ外の疑問として残ることになります。

名目債務と貨幣流通の新しい理論

これらの疑問点を説明する新しい貨幣理論の要旨を以下で説明したいと思います。

1.裁判所の能力の限界が引き起こす信用払いでの問題

上記の図2に戻りましょう。図2のように手形での信用払いが可能な時に、なぜ貨幣での債務履行が必要なのでしょうか。この問題を考えるために、時間差で物やサービスを交換する二者の関係を考えます。(以下で説明する理論は、図1にあるような欲求の二重一致の欠如がなくても成立します。)

異時点間取引

図4 異時点間取引

信用払いが必要な時間差のある交換を考えるため、ここでは夏に収穫されるメロンと秋に収穫されるリンゴが交換される例になっています。メロンを部品、リンゴを製品と読み替えれば、メーカーAとサプライヤーBの間の企業間信用と解釈することも可能です。

図4のような取引が成立すれば問題ないですが、AやBの生産物に様々な品質のものがありうる場合、Aは品質の高いリンゴの供給を約束して、Bから品質の高いメロンを選んで買った後は、自分が収穫したリンゴの中から酸っぱいリンゴを選んでBに渡し、品質の高いリンゴを自分のものにすることが自己利益の最大化になります。

異時点間取引の失敗

図5 異時点間取引の失敗

Bにとっての酸っぱいリンゴの価値が低い場合、BはAの債務不履行を裁判所に提訴して、Aに対して品質の高いリンゴの引き渡しを強制しようとすることは可能ですが、このような救済措置を実現するためには、裁判所がAとBの間の契約に記載されるリンゴの品質を正確に識別する能力を持つ必要があります。物・サービスの品質の評価はしばしば主観的なものなので、裁判所で客観的に立証できるとは限りません。ここの例で言えば、裁判所が酸っぱいリンゴもAが供給を約束したリンゴの範囲に入ると判断する場合は、Bは裁判所による救済措置を受けられないことになります。そのような可能性が高いと事前にBが判断する場合、BはそもそもAにメロンを売らなくなり、AとBの間の信用払いによる交換が成立しなくなります。リンゴの例だとあまり現実味が感じられないかもしれませんが、酸っぱいリンゴを不良製品・サービス一般と読み替えれば、より普遍性の高い問題になります。

2.名目債務の利用による問題の回避

この問題は、Aの債務を名目債務にすれば解決できます。この場合、AはBへの債務を返済するためにリンゴを売って貨幣を得る必要があるので、取引の流れは以下の通りになります。

名目債務

図6 名目債務を利用した異時点間取引

上図の真ん中のリンゴと貨幣の交換では、Bは自分の買いたいリンゴを自由に選ぶことができます。好みではないリンゴを受け取ることを避けるために、裁判所で酸っぱいリンゴの品質を立証する必要はありません。その結果、Aが酸っぱいリンゴをBに売ろうとしても低い価格でしか売れないので、Aの名目債務額を品質の高いリンゴの名目価格にしておけば、Aは品質の高いリンゴをBに売らざるを得ないことになります。よって図6では、貨幣が「Aが約束通りの品質のリンゴをBに供給した」ことを証明するトークンとして機能し、名目債務の履行手段としてBに返済されることで、AとBの間の信用取引が成立することになります。AとBのような組が多数がいて、競争的なリンゴの市場が存在する場合は、Bが恣意的にAのリンゴに支払う貨幣額を低くすることも防げます。

この結果にとって鍵になるのが、Aが品質の高いリンゴを売らないことを選んだ場合、リンゴの品質とは異なり名目債務の額面額は単なる数字なので、裁判所はAの名目債務の内容(およびその不履行)を正確に認識できるという仮定です。この場合、競争的市場では、買い手間の競争により品質に応じたリンゴの価格がつくので、裁判所はAの持つそれぞれのリンゴの品質を判別できずとも、Aの持つリンゴ全体を差し押さえてリンゴの市場で売却すればよいことになります。よって、Aは名目債務の不履行を選ぶインセンティブを持ちません。この結果は、現実の裁判所が、競売で債務者の実物資産を貨幣に換価することと整合的です。

このように、貨幣を債務履行手段と位置付けると、名目債務の存在が説明でき、その結果として、物やサービスの支払手段として貨幣が流通することも説明することができます。

3.債務履行手段としての貨幣の流通のボトルネック

ただし、図6に示される通り、Aが名目債務の返済をするためには、BがAから名目債務の返済としての貨幣を受け取る前に、Aの生産物を貨幣で買う必要があります。

このボトルネックを解消するための一つの方法は、Bが予め貨幣を保有しておくことです。例えば、Bが図6にある一連の取引の後に、再度Aの手形と引き換えにメロンを売る場合、BはAから受け取った貨幣を保有しておけば、再びAの生産したリンゴに対して貨幣を支払うことができます。ただ、同じ生産者がいつも同じ生産を繰り返すと考えるのは非現実的なので、生産者の参入・退出を考えると、新しく参入した生産者については、以下の図のB'の様に、信用払いでメロンを売るとともに、貨幣払いでもメロンを売って貨幣を得る必要が生じます。

ボトルネック1

図7 貨幣供給量が硬直的な場合の貨幣流通

このような場合、B'には貨幣保有の機会費用が生じるので、その反映として、A'の手形にかかる実質利子率が上がります。その結果、A'とB'の間での信用取引は収縮します。また、この例では、硬直的な量の貨幣が流通するために、AやA'がBやB'に供給できるリンゴの価値に比べて貨幣の実質価値が不足し、その結果、実現可能な信用取引の量が抑制されるという状況も生じ得ます。(こちらの結果の証明については、この記事の冒頭のリンクにある論文を参照してください。もしここで、貨幣の流通速度が可変的な場合にはこの問題を防げるのではないか、という感想を持った人は経済学の見識が深い人だと思います。この記事の冒頭のリンクにある論文ではこの可能性については検討していませんが、貨幣を受け取った人から貨幣を払う必要がある人へ貨幣をリサイクルするためには、短期金融市場での貨幣の貸借が必要になります。その場合、bid-ask spreadのような取引費用が発生するので、可変的な貨幣の流通速度が貨幣不足の問題をすべて解決するとは思わない、というのが現時点での私の意見になります。)

4.中央銀行の弾力的流動性供給による貨幣流通のボトルネックの解消

この結果を踏まえると、貨幣流通のボトルネックを解消するためのより良い策は、中央銀行による弾力的流動性供給になります。現実の例としては、伝統的な政策である中央銀行による手形割引や、現代の中央銀行が市中銀行に提供する標準的なファシリティである日中当座貸越が挙げられます。

ボトルネック2

図8 中央銀行による弾力的流動性供給

上の図では、中段でBがAの手形を担保に中央銀行から貨幣を借りて、下段で名目債務の返済としてAから受け取った貨幣をBがそのまま中央銀行に返済するケースを考えています。この場合、BはAの手形の額面額分の貨幣を中央銀行から借りることができると仮定しています。(Bの中央銀行からの借り入れは名目債務なので、上記に述べたように、裁判所はその履行を強制することができ、その結果、Bは中央銀行に対する名目債務の履行にコミットすることができます。)

この場合は、Bは貨幣を予め保有する必要はないので貨幣保有の機会費用は発生せず、また、中央銀行は貨幣の供給量をAの手形の額面額に応じて事後的に調整できるので、貨幣不足による信用取引の抑制も防止できます。

このように、貨幣を債務履行手段として位置づけると、名目債務の存在と物・サービスの支払手段としての貨幣の流通とともに、中央銀行による弾力的な流動性供給の必要性も説明することができます。

法貨の利便性

繰り返しになりますが、上記に述べた理論で鍵になるのは、「名目債務の額面額は単なる数字なので、裁判所は名目債務の内容(とその不履行)を正確に認識できる」という仮定です。この仮定は、各国の法定通貨がそれぞれの国での「法貨」(リーガルテンダー)であるという事実と整合的です。法貨とは、各国通貨建て債務の履行手段としての強制通用力が法により保障されているもののことです。日本では硬貨と日銀券(紙幣)が法貨になります。よって、裁判所は、常に法貨をその額面額で評価することを法により義務付けられているので、法貨の発行主体の財務その他一切の状況を考慮することなく、債務者による法貨の支払額だけを見て名目債務の履行の有無を判断すればよいことになります。これは、図5で述べた、裁判所が契約書にかかれているリンゴの品質を識別しなければならない例とは対照的です。

また、各国の中央銀行がそれぞれの国の法貨の発行主体となるのが通例ですが、この事実についても、図8において中央銀行が制約なく強制通用力を持つ法貨を発行できるので、貨幣不足による信用取引の収縮を防ぐ効果があると評価できます。

これらの理論的結果は、法貨の持つ法的な強制通用力が、現代経済における名目債務の広範な利用と、法貨が各国内で支払手段としての流通していることの重要な要因になっていることを示唆します。

なぜ外貨が邦貨を駆逐しないのか

ここまでくると、なぜ米ドルのような国際基軸通貨が、各国の法定通貨の国内での流通を駆逐しないのかの説明もできます。通常の国では、法貨以外での決済は禁止されておらず、日本国内でもドル建ての取引を行うことを禁ずる法律はありません。ドルはアメリカの法貨なので、日本は米国法の及ぶ領域外ではありますが、日本の裁判所でも債務者が支払ったドルの額面額でドル建て債務の履行の有無が判断されると思われます。なので、この点は円建て債務と同じです。

ただし、アメリカの中央銀行である連邦準備制度は、原則として、米国内の銀行にしか弾力的なドルの供給を行わないので、日本でドル建て債務が利用された場合、図7の例のように、予め、ドルを誰かが保有する必要があります。そうすると、上記に述べたような貨幣保有の機会費用やドル不足による信用取引の収縮が生じ得ます。日本の市中銀行がアメリカの市中銀行からドルを調達して弾力的な流動性供給を行うにしても、アメリカの市中銀行に支払う金利・手数料が発生するので、国内の中央銀行による流動性供給を完全には代替できません。これらのコストを考えると、日本銀行が市中銀行を通じて行う弾力的な円供給の便益を受けられる円建て債務で信用取引を行った方が、日本国内ではコストの低い選択ということになります。その結果、円が日本国内の支払手段としても流通することになります。

ただし、中央銀行が財務的な制約なく無制限に供給できるという法貨の特徴は、法貨の弱点でもあります。政府の財政規律および中央銀行の独立性が弱い国では、中央銀行にファイナンスされる政府の財政赤字と為替レートの減価による法定通貨の慢性インフレのコストが、上に述べた弾力的な流動性供給の便益を上回ります。このような国では、一部の途上国でみられるように、米ドルが国内の支払手段として流通することになります。ですので、法貨がその利便性を発揮するためには、政府の財政規律と中央銀行の独立性が前提条件となります。

民間通貨は法定通貨を駆逐できるか

慢性インフレのある途上国以外では、暗号通貨のような民間通貨が各国の法定通貨を駆逐するのは、国際基軸通貨である米ドル以上に難しい、というのが上に述べた貨幣理論から導かれる予想になります。上に述べたような弾力的な流動性供給の欠如に加え、法貨でもないので、裁判所が民間通貨の額面額での通用を常に認めるとは限りません。例えば、民間法人が発行する民間通貨の場合、その民間法人が破綻した場合の民間通貨の法的地位は不明です。民間法人には常に破綻リスクがある以上、民間通貨の通用力にも不確実性がつきまとうことになります。

一方、パブリックチェーン型の暗号通貨には発行者の破綻リスクの問題はありませんが、ビットコインのように裁判所のような外部者が暗号通貨の残高を事後的に変更できないという設計の場合、裁判所が暗号通貨建て債務の履行を強制できないという問題があります。この問題が大きい場合、法による保護を受けにくい暗号通貨建ての名目債務の利用が選択されず、その結果、物・サービスに対する支払手段としても暗号通貨が選択されないということになります。

よって、暗号通貨が各国の法定通貨を代替するためには、

・債務履行手段として利用できる設計
・裁判所の強制力なしで暗号通貨建て債務の履行を強制する仕組み
・弾力的な流動性供給の仕組み

の三つが必要になるというのが、上に述べた貨幣理論の予想になります。

一番目の点については、イーサリアムなどの暗号通貨の基本設計思想に、また、二番目の点については、スマートコントラクトによる決済の自動化に、それぞれの萌芽が見られるかもしれません。三番目の点については、暗号通貨残高の条件付き自動貸与の機能のある暗号通貨を作ることは可能だと思いますが、債務者が貸与された暗号通貨を使用した後に当該暗号通貨そのものの使用をやめてしまう場合は、貸し出した暗号通貨残高を回収できず、それがネットワーク上に残ることになるので、暗号通貨の条件付き貸与を行うことが難しくなる問題があります。この点については対照的に、裁判所は物理的な強制力を使って法定通貨残高のみならず実物資産の差し押さえもできるので、債務履行の強制力の及ぶ範囲が広く、その結果、中央銀行などによる法貨の弾力的な流動性供給制度も設計しやすいといえます。

貨幣の歴史との関係は?

最後に注意点として、ここで述べた貨幣理論のみならず、冒頭に述べた伝統的な貨幣理論も含め、経済学の理論モデルは歴史の展開を必ずしも敷衍するものではありません。例えば、伝統的な貨幣理論は、本源的価値を持たない不換貨幣の流通を説明するものですが、現在、各国の中央銀行が発行する不換紙幣は、歴史的には最初から不換紙幣だったわけではなく、当初は金や銀との兌換券としての性質を持ちながら、その後、金や銀の単位で示される価値尺度を所与とした法貨としての地位を得て、ブレトンウッズ体制の崩壊後に不換紙幣になったという経緯があります。このように貨幣が受容される理由は時を経て変わるものであり、貨幣理論は、現在や過去の一時点において貨幣が流通する理由を説明するものとして捉えると良いと思います。現時点での貨幣流通の要因がわかれば、将来どのような貨幣が流通しうるかの予測を立てる際に役立ちます。