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短編『行かないでよ、海』

1.幼馴染の鈴木さん

「今日の最高気温は52℃。今年初の夏灼日(かっしゃび)で、とても危険な暑さです。不要不急の外出は…」

毎日のように暑いが、今日は特に暑いらしい。

「鈴木さん、まじ可愛いよな〜」
「それな〜、あの冷たい感じもいいよな〜」

教室に入り席に座ると、近くの席の奴らがまた飽きずにそう言っていた。同級生や先輩曰く、僕の幼馴染はバカが付くほど可愛いらしい。要するに容姿がいい。
顔が良いって話、僕は分からないけれど。

当の本人は教室の窓側の席で誰かと話しはじめたらしく、時々笑う声が聞こえていた。

朝のホームルームのために担任の風原先生がやって来ると、生徒の数人はいつもより遠回りして自分の席に着き、なんとも分かりやすく浮かれていた。

夏休みまであと数時間なのだ。

一限目の授業は数学だった。
数学の田口先生も、生徒たちが集中できない事を分かっていて、はじめから授業をしようという気は無いようだった。
いつも通り授業に使う教科書やタブレット、ペンケースは持って来たものの、当たり前のように教壇に置くとそれには最後まで触れなかった。
その代わりに、長い休みを利用して海外へ行けば世界の見え方が変わる…というような話をし始めると、いつの間にか45分が終了した。彼は話が上手い。
多分、背が小さくて真面目な木村くんは目を輝かせて聞いていたと思う。
彼らの間には何か絆に似たものがある。

二限目は家庭科だったが、山野先生は本当に予告通り何もしなかった。とりあえず来て挨拶はしたが、あとは自由時間で、絵しりとりをする生徒もいれば、夏休みの計画を練る生徒もいた。僕と同じく顔を伏せて寝ていた生徒も少なからずいたと思う。
驚くほど普段通りの挨拶をして、教室を去っていった。

いよいよ終業式だ。
体育館へ向かう廊下には、天井を触ろうとジャンプする生徒がいつもより多くいた。僕はいつも通り端の方を歩いた。

終業式は相変わらず内容が薄い割に亀のようなスピードで、型にハマっていて楽しくない。けれど、それが式と言うものだった。

式が終わると座り疲れた生徒たちがダラダラと廊下を歩いた。普段の1.5倍くらいかかったように感じる。
ただ、教室に入ってしまえばこちらのものという感じで、宿題の事も全部頭から消え去って半分以上の生徒はすでに夏休みに突入したような雰囲気だ。
年に数回あるか無いかくらいの意気のいい返事をしてサクサクとホームルームを終わらせ、晴れて全員が夏休みに突入した。

「事故だけは本当気をつけろ〜」
生徒たちの背中に呼びかける風原先生の声はたぶん誰の耳にも届いていなかったと思う。

窓の外の景色は揺ら揺らと揺らいでいるのだろうな。
朝ですら危うい気温だったのに、冷房の効いたこの校舎を出ようものなら死さえもすぐ近いものに感じられるはずだ。
屋上に設置されているいくつかのスプリンクラーが止まれば、校舎全体を覆う緑のカーテンもまもなく枯れるだろう。

僕らが一階へ着く頃、ロータリーはすでに生徒でいっぱいで、いつものように5号車の列に並び後ろの方でバスを待った。
バスロータリーは校舎内にあり、バスは家の目の前で停車するため、ほぼ外の気温の影響を受けずに下校ができる。命を脅かす暑さにより、日本の学校は十年程前からこのような造りが義務化された。

曽祖母は僕のそんな話を聞くと「学校と言うより宇宙だね」と笑った。実際のところは分からないが多分悲しみの含まれる笑いだったと思う。
曽祖母の時代の日本では、夏場のほとんどが夏日くらいの気温だったらしく、エアコンなんてない方がポピュラーだったのだ。ここxx年ほどで倍くらいの暑さになったと言う事らしいから恐ろしいものだ。

以前に一度、いっそあきらめて全部オンライン授業にしたらいいのに、と保健室の先生に話したことがあったが、先生が言うには、以前にそれで失敗した事例があり、どこかの学者たちが懸命に研究した結論がコレとのことだった。
「君たちくらいの歳の子は特に人と触れ合うことが大事だし、オンラインの授業は子供に色々と良くない」
などと理由を話し、最終的には「君、頭いいんだからいい案出してよ〜」なんて適当な言葉を口にした。

夏の長期休暇も今となっては形だけが残っているにすぎない。セミは4月に出始めて、もうとっくに命を潰えてしまった。それに居たとしても暑すぎると蝉は鳴かない。
僕が小学生になった頃からか、夏は毎年静かだ。

夏日…25℃以上
真夏日…30℃以上
猛暑日…35℃以上
酷暑日…40℃以上
夏灼日…50℃以上

バスに揺られると眠くなる。
隣の席にはいつも通りそのバカみたいに可愛い幼馴染がいる。幼馴染の名前は鈴木麗(れい)と言った。名前はその人に馴染むと言うけれど、そうなのかもしれない、なんて思う。
この席に特別意味があるわけではなく、一年生の当初から席が変わっていないと言うだけだった。
麗とは中学校に入ってから不思議と、時々話す、という程度になった。

…絵しりとりの絵、上手に描けた?
とか、
…校長先生の話相変わらず長かったね
とか、
別に言わなくてもいいし…と頭の中ですぐに丸めて捨てた。

麗は絵が下手なのを知っているし、校長先生の話は誰に聞いても間違いなく長かったと言うはずだった。
バスに揺られていると外の暑さはまるっきり嘘のようだ。あっという間に家に着いた。

2.7月28日


「ミーーーンミンミンミン」

「ミンミンミン」

「カチカチ」
久しぶりにこの音が聞こえ、部屋の窓を開けると、とんでもない熱風が部屋に押し入った。
「マジか」
思わず言葉が出た。

僕の家と麗の家は隣で僕らの部屋はすぐ隣だった。
窓を開けて麗に声をかけた。

「どうしたっ?」
「夏休みの宿題、分からないところがあって」
と、麗が言った。
「ごめん、こっち来れる?」
と聞くと、すぐに
「行く」
と帰って来た。

前はこんな会話もなく知らない内に麗が家に居たりして、よく驚かされたものだった。

「ミーーーンミンミンミン」

今はいない曽祖父が、何年も前にホームセンターから蝉の幼虫を買って来た。土の中の様子は見えないので、生きているのか分からなかったが、曽祖父に言われた通り時々土を湿らせたりして面倒を見ていた蝉が昨日やっと羽化したのだ。
殿(曽祖父のあだ名)にも見せたかったなと思った。
曽祖母の方は健在で、グループホームにいるもののスマホを使い倒して施設では密かに神童と呼ばれているらしい。すごいあだ名だ。動画を撮って送ると涙を流した何かわからない生き物のスタンプが送られて来た。さすがと思った。

この蝉の命が本当にこれから1週間ほどしか無いとしたら泣ける。
蝉は、カブトムシやクワガタや鈴虫と並んでホームセンターに売られているが、何しろ土の中に何年もいるのでかなり値段に見合わないものがあると思うし、こんなものを買うのは物好きだけのはずだ。
確かに殿は物好きだった。また会いたくなった。

「おじゃまします」
麗はそう言いながら部屋に入りいつもの冷えたサイダーを机に置いた。
「相変わらず暑いね外」
「ほんとね、暑い」
「ごめん来てもらって、
 あっそれで、なんて言う問題?」
「数学のね、プリントの問.14の…」
「相変わらず苦手だね」
「ずっと難しい、、」
「そうだね(笑、麗にも、」
「、、ん?」
「ん、いや、」

僕は、苦手なものがあるくらいで丁度いいよ、と言おうとしたけれど言わなかった。
聞きたいのはその問題のことだけだったらしく、その後は静かにページをめくる音とシャー芯が紙を擦る音、炭酸の泡が弾ける音が小さな部屋で続いた。

「ミーーーンミンミンミン」

夏休みの七日目だった。

3.8月4日

「ミーーーンミンミン」

また「カチカチ」と音がした。

この「カチカチ」は麗の持っているカスタネットの音だ。
カスタネットは小学校二年生の時、父に連れて行ってもらった楽器屋で僕から麗へのプレゼントとして買ったものだった。今はどうしてか麗が僕を呼ぶために使っている。他に使い道がないからだと思うが、この使い方が一番正しいとすら思えた。

「海、麗ちゃんうさぎさん飼ってたよな、うさぎさんのカスタネット見つけた」父がそう言った事を思い出した。ぼくが見つけたかったな…と思いつつ、指でなぞると丸いカスタネットの表面に彫られているのは小さなウサギで確かにれいちゃんが好きそうだった。
小学生の麗は今より話好きで、嬉しい嬉しいと言って僕を思い切り抱きしめた。
少し苦しかった。

「ミ–−–ンミンミン」

窓を開けてこの間と同じような会話をした後、
同じくらいの時間を同じように過ごした。

夜、麗に来てもらい一緒にセミを土に埋めた。本当にちょうど1週間の命だった。
蝉を埋めるための小さな穴を掘るだけでも、大粒の汗が滲み、首や背中を伝っていくのが分かった。

抜け殻は何となく埋めることができなくて、机に置いたまましばらくの間そこにあった。

4.8月21日 

夏休みも折り返した。

今日は一人で水族館へ行った。
一人で行くのはもう何度目かで少しは慣れたものだったけれど、帰りに電車のホームでたいせつな白杖を落としてしまった。白杖に付いている落下防止のストラップが切れたようで、手を離したら情けなく転がっていったのだ。
「アァ…」
と情けない声が出た。

コロコロと離れていく白杖と反対に、白杖に慣れきってしまった僕は恐る恐るそちらの方へ近づこうとした。
多分数十㌢も進まないうちに「あっそのままで、!」と言う爽やかな声と、こちらへ駆け寄る足音がした。
声とは対照的に足音は、運動が苦手な人の足音だった。
こんな時だけど、なんだか笑けた。

僕は言葉に甘えてゆっくりと後退りし、元いたベンチに腰をかけた。
緊張が解けて、だらっと力が抜けた。

少しすると、男性は近づいて来て「とりあえずこれで、、」と申し訳なさそうに僕に白杖を渡した。
彼は僕がまた困らないように、ストラップをなんとか結び付けてくれたらしく、結び目を触ると何とか頑張ってくれた様子が玉結びの大きさや数から分かった。とても優しい人だと思った。

少し話すと、同じ電車に乗るということが分かり、そのあと彼が電車を降りるまでずっと僕に付き添ってくれた。電車の中でこんなに話したのは初めてだったかもしれない。

男性はサラリーマンのようだった。
「つらくて仕事を抜け出して来た!」なんて言って笑っていたが、僕には本当の大人と言う感じがした。

「どこかへ行って来られたんですか」
「あっ僕、夏休みで、水族館へ」
「そうなんですね!水族館か〜」
「はい、水族館行きますか?」
「前回行ったのは半年前くらいかな、
 僕も好き!あの、ひとつだけどうしても知りたい事があって、聞いてもいいですか」
「目が見えないのに、って事ですよね」
「あっ、いえ…いや、
 海さんには水族館がどんな風に見えるのかなって」
本当にやさしい人だ。
「館内はほとんど僕にとっては普通の建物みたいなものですね、けど!水族館の匂いってなんか好きで、あと、触れ合えるコーナーってありますよね!あれは結構スリルがあって楽しいです。
 後はイルカとか、あざらしとか、ペンギンとか、そう言う生きものの水槽はたくさん音がして面白いです。」
「なるほどね〜例えばどんな?」
「イルカはジャンプの前に水面からなるべく抵抗なくスッと出るので、水に入る時の音に昔は驚くこともあるほどなんですよ。アザラシとかはイルカより静かなので、僅かな音を聞く練習に、とか言ってよく水族館へ連れて行ってもらいました!ペンギンは本当見えるみたいに音がするので笑っちゃいます(笑
 あっ、すみません、僕ばっかり話しちゃって…」
「いえ、とんでもない、僕の方こそすみません。すごく素敵です。」
そのあと彼は「話せて嬉しかった」と言って、電車を降りて行った。

こんなに話したのはのは随分久しぶりだった。あんな風に言ってくれる人は初めてだったので僕は帰路、余韻に浸った。
とても良い日だった。
そういえば彼の足音はペンギンに似ていた。
きっとあの人は困っている人を見かけたらまたすぐに駆け寄って、優しく助けてあげるんだろう、目に見えるようだった。

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「ゆり、調子は」
「大丈夫落ち着いたわ、この子もいい子に寝てる」
「よかった、可愛いな〜、
 そう、話したいことがあってね」
「何だか嬉しそう、聞かせてほしいな」
「僕、今日とてもやさしい少年に会った」
「そうなの〜?良かった、どんな子だったの?」
「この子にも、あんな風になってほしい、そう思った」
「私も会ってみたかったな〜」
「またどこかで会える気がする、
 ゆり、この子の名前、海晴(かいせい)ってどうかな」
「素敵、だってよ〜海晴くん」
「わー!笑ったよね!!今!!!」
「決まり〜っ!」

4.8月30日

夏休み最終日だ。
前日に麗から「せっかくだし花火、見みに行こう」と誘われていた。
この夏休み、二人で出かけるなんて想像もしていなかったけれど、今年の夏はそう言う夏だった。電車に乗り、花火大会がある河原近くまで歩いた。こんなに暑くても辺りはかなり賑わっていて白杖を持って歩くには少し危なかった。
麗は「片付けようか」と言って白状を畳み、カバンにしまってくれた。まるで前からこうだったような気がした。僕の手をぎゅっと握るその手は記憶よりも小さく、でもとても懐かしく、そのまま少し開けた場所まで歩いた。

「ちょっとそこの自販機でお水買ってくる」
と麗が手を離すと、ふと昔のことを思い出した。

前はたくさん考えていた。このまま帰って来なかったら、僕はとても無力だ。
けれど、こういう時に僕が思い出すのは決まって賑やかな記憶だった。一人で不安になっていた僕よりも、僕を見失った麗の方が何倍も大泣きしていた記憶。
大きな泣き声のする方に向かって「れいっ!!」と声をかけると、鳴き声がピタッと止み、駆け寄って来て、麗は今と同じようにすぐに手を握ってくれた。

この出来事があって、見えない不安は大きいけれど、見えるからこそ不安になる事もあるのだと知った。

麗が買って来たペットボトルは一つだった。

広く静かな土手に寝転ぶと間もなくたくさんの花火が上がりはじめた。目を開けると、夜なのにとても明るかった。
僕の見るものはいつだって夢よりももっと不鮮明、
けれど、その音や匂いは何よりも信じられるものに感じられた。きっと麗のおかげだった。

最後の花火は耳が痛いくらいに続けて上がった。きっと綺麗なのだろう。麗は静かに隣で花火を見ていた。
深く静かな呼吸が聞こえて、バクバクと鼓動する心臓の音が何よりも響いてしまっているような気がした。

帰りの電車は花火を観覧していた人たちの事もあり23時の割に賑やかだった。

途中麗は思い出したように鞄からペットボトルを出すと「捨てて新しいの買ってくるね」と柱の側を離れて行った。
少しして線路の方から、ドサッ、っと鈍い音がして、それと同時に「キャーーー!!!」と酷く高い叫び声が聞こえた。

「人が落ちたぞっ」
「まじ?酔っ払いか?」
「電車、多分もう直ぐじゃねーの?」
叫び声は連鎖するらしくまた別の誰かが叫んでいる。

「まじかー!もう一人落ちたぞ」

僕は線路に降りていた(?)。

「助けに行ったんじゃないの?」
「でも、あの杖って、もしかして目…」
「やべーじゃん、誰か!!」

いやーとか、きゃーとかしきりに叫ぶ女性の声がまだ途絶えずに聞こえていて、ざわざわとした音も次第に大きくなっていた。

「電車止めるスイッチどこだよ!誰か押したか!!」
「アイツ、足大丈夫かよ」
「痛そう、」

落ちた人を見つけるまでは何だか随分とかかった気がした。意識がないと分かり、必死だった。
「すみません!誰か!!!!!!!!」

「電車来ちゃうよ」
「大丈夫かよ」
「駅員おせーな!!」
「やばくない?これって」

全然見えないけど、誰か助けに来てくれているんだろうか、線路が揺れているのが分かり少し怖くなった。

「海!!!!!!!!!!!!!!!!
 バカ何してんの!!!!!!!!」

麗だ…こんな風に叱られたのは本当に久しぶりだった。パシッと頬を叩かれた。
見えないから叩くよって言ってくれないと…そう言ったら麗は笑ってくれる気がしたが、絶対にそんな場合ではなかった。

かなり揺れは大きくなっていた。
ジャリっと数人が線路に飛んだ音が聞こえて、彼らが落ちた男性を抱えて運んでくれた。
少し離れたところでキィーーーーーと電車の止まる音がして、僕もホームの彼らに手を取られすぐに引き上げられた。
警察や消防、救急車が来て辺りは慌ただしくも騒然とした様子だったが、聞くには幸にも皆が無事とのことだった。
頭などは打っていかいが、僕も一応病院で手当を受けた。手足は捻挫と打撲程度で済んだが、麗にはひどく叱られて、そのあとは少しのあいだ口を聞いてくれなかった。

自分でも不思議だがこの時ばかりは身体が驚くほど軽く動いた。そうは言ってもほとんどあの落ちた人と境遇は変わらなかったけれど…。

後から聞いた話だが、あの電車には偶然にも多少の遅れがあったらしく、予定通りに来ていたら間に合わなかっただろうとの事だった。
奇跡だ〜と言うと、麗はまた怒った。
僕の気持ちは穏やかだった。

5.海

高校生になった。
わざわざ僕と同じ高校生を選ばなくて良いと言ったのは、麗を思ってのことだった。
けれど麗からすればそれは余計な事だったらしい。
僕は目が見えないから麗が大変だと思った。

必ず幸せになってほしいと、あの時からずっと願っていた。僕はこの思いを決して君に伝えまいと心に決めていたのにな。

「海はいつも一人でいる」
「僕も友達くらいいるよ」
「そうじゃなくて、」

小6の春、麗は急に真面目なトーンでそんな事を言った。麗がこんな風に言うのはその時はかはしめてだった。

少し考えてみて、
確かにその通りだと分かった。
僕は、目が見えない、とはそう言う事だと自分に言い聞かせていた。何とか納得しようとし続けていた。

聞きたくない事も聞こえるし、みんなと見たいものを見る事ができないのは、僕にとって普通であって、その普通が何よりもつらかった。

僕は自然と人と居ても一人でいることに慣れてしまった。だから麗に教えてもらってハッとした。

麗は見る事ができるけど、
麗が本当に見ていたのは僕のこころの方だったのだと知った。

その時に僕は自由は心の状態なのだと知って、
気持ちが軽くなった。

6.麗

海は澄んだ心を持っている。
ものを見られることは幸せな事だけれど、私はいつでも海が見ている世界を見てみたいと思う。

海もわたしも小さい頃、
海は
「れいはどんなお顔なの?」
とわたしの頬に両手を添えた。
海は
「あったかくて、やさしいお顔だね」
と言って笑った。

私はいつも海から大切な事を学んだ。

行かないでよ、海。

ホームから飛び出したあの日、誰かの叫んだ声を聞いてすぐにそう思った。
海は絶対線路に降りる。
海は強くてやさしいから、きっと自分のことなんて忘れて、誰よりも早く行ってしまう。わたしにはその確信があった。

広場ではぐれたあの日、海は覚えてないみたいだけど、君は近くで泣いていた子の手を握って一緒に両親を探そうとしていた。自分も迷子になることなんて考えていなかった。
真っ直ぐで澄んだ目をしていた。


「海は穏やかだね。」
海は全く呑気だよ、
夕陽がキラキラと海に反射する。
海にはどんな風に見えるのか、今ではわたしにも分かる。とても穏やかで暖かい凪いだ海。
「そうだね」
とわたしは返事をした。
とてもとても愛しい。

7.後の話

僕は麗に告白した。
付き合って、僕らは結婚した。

かなり後になって分かったことだけれど、あの時助けようとした人は僕の知っている彼だった。
落下のもととなった突然の脳出血ははっきりした原因こそ不明だったが、多分過労による心身疲労からくるものでは無いかとの事だった。やっぱり真面目な彼なのだった。
素早い処置で一命を取り留め、落ちた時の手首と脛、顔面の骨折もその後リハビリなどを経て無事回復した。
交友はそれからもずっと続いていて、
海晴くんは今年の春から中学生になるそうだ。
近いうちに入学祝いを渡しに行こうと麗と話していた。
この世界、結局は愛なのだ。
とてもシンプルで海のように深い。
僕らは不変でありながら、
確かに一歩一歩、前に進み続ける。

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