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マチグヮーとお菓子

 那覇のマチグヮーで取材を重ねていると、「お盆お正月前になると、まっすぐ歩けないほど買い物客でごった返していた」「日付が変わるころまでお客さんが途切れなかった」という話をよく耳にします。普段の買い物はもちろんのこと、行事お供物を買いにマチグヮーを訪れるお客さんもたくさんいらっしゃいます。

 国際通りから第一牧志公設市場へと続く「市場本通り」を歩いていると、お菓子屋さんを何軒も見かけます。お菓子というのもまた、伝統的な行事と深くかかわりがあります。今回の記事では、マチグヮーでお菓子を扱うお店を紹介したいと思います。


てる屋天ぷら

 数ある沖縄のお菓子の中でも、とりわけ有名なのはサーターアンダギーではないでしょうか。牧志公設市場の1階にある「てる屋天ぷら」は、今から60年ほど前、サーターアンダギー専門店として創業されたお店です。

「沖縄ではサーターアンダギーは結納品のひとつとされていて、昔はそれぞれの家庭で作るものだったんです」。そう聞かせてくれたのは、創業者・照屋林徳さんの次女・野原巴さん。「でも、時代が移り変わるにつれて、店で買い求めるものに変わっていったんですね。この公設市場周辺には、行事に必要なお店がたくさん並んでいて、『結納用のサーターアンダギーと言えばてる屋』と皆さんにご愛顧いただいてました」

「てる屋天ぷら」が創業された昭和30年代は、那覇の人口が右肩上がりに増えて、都市化が進んだ時代でした。ひとびとの生活様式が変わり、集合住宅が増え始めた時代に、「これからは家庭で天ぷらを揚げる人は少なくなるのでは」と、林徳さんはサーターアンダギー専門店を創業したのです。

創業者の照屋林徳さん

 林徳さんのサーターアンダギーは評判を呼び、ホテルや料亭からも注文が舞い込みました。林徳さんの孫にあたる野原由人さんは、小さい頃から家業の手伝いをしていたそうです。

「てる屋天ぷら」の3代目・野原由人さん

「僕は保育園に通ってた頃に、途中で抜け出して戻ってきて、お手伝いしてたらしいんです。何度も抜け出して危ないという話になって、保育園をやめさせられちゃうことになるんですけど、ずっと店で卵を割ったり、工場の掃除をしたりしてた記憶がありますね」

 ただ、時代が下るにつれ、結納用のサーターアンダギーはそれぞれのホテルでつくられるようになっていきます。また、マチグヮーが観光客で賑わう時代になると、サーターアンダギーを提供するお店も増え、裏通り沿いにある「てる屋天ぷら」を訪れるお客さんは少なくなっていきました。

 小さい頃から祖父母のもとで育った由人さんは、大学卒業後は企業に就職して働いていたものの、どうにかお店を守り続けたいと、3代目として「てる屋天ぷら」を引き継ぐことに決めました。

ショーケースには沖縄天ぷらもズラリ

 今年の春、新しい牧志公設市場がリニューアル・オープンする際に、数小間ぶんだけ新規事業者の募集があり、抽選の結果「てる屋天ぷら」は公設市場に入居することになりました。昔と変わらぬサーターアンダギーの他に、沖縄天ぷらや沖縄の食材を使ったお菓子を提供されています。

てる屋天ぷら
沖縄県那覇市松尾2丁目10−1
10:00-売り切れ次第(水曜・第4日曜 定休)


もちのやまや

 沖縄の行事にはお菓子が欠かせないのだと知ったのは、市場本通りにある「やまや」を訪れたときのことでした。こちらのお店には、「もちと年中行事」と題したカレンダーが貼り出されています。そこには実に、25もの年中行事行事が記載されています。

行事の名前と一緒に、旧暦と新暦の日付が記載されたカレンダー

「今は買ったをお供えする人が多いですけど、昔はそれぞれの家庭で作っていたんですよ」。そう教えてくれたのは、「やまや」の兼島久子さん。「旧盆の時期には、親戚が40名以上集まる家もあるんです。そこで皆で料理をして、お供物をしたあと、お仏壇から下ろして皆で食べる。そのとき、それぞれ得意なものを分担して作るんですけど、私の母方の祖母はを作るのが上手だったらしいんです。その味を引き継いで、店で出すようになりました」

 こちらの「やまや」で目を引くのは、なんと言ってもカーサームーチー(1個120円)です。月桃の葉で包まれたこちらのお餅は、旧暦の12月8日に、こどもたちの健康な成長を願ってつくられます。

「今は紅芋キビ味も作ってますけど、昔はプレーン黒糖の二つだけでした。プレーンのほうはまったく甘くなくて、餅を包んでいる月桃の葉の匂いが強いですね。子供は二歳ぐらいからカーサームーチーを食べるので、沖縄でこれを知らない人はいませんよ。蒸すと月桃の強い香りが出るので、近所を歩いていると『ああ、この家はカーサームーチー作ってる』とすぐにわかる。その匂いを嗅ぐと、ああ、もうそういう時期なんだなと思うんです」

「もちのやまや」を創業したのは、久子さんのご両親でした。父・長徳さんは、菓子屋さんで丁稚奉公をしたのち、大阪に移り住んで紡績工場に勤めていたそうです。終戦後に沖縄に戻ってきたことをきっかけに、「やまや」を創業。末っ子の久子さんは、小さい頃から両親の仕事を手伝ってきました。

「やまや」の久子さん

「もう、家業だからしょうがないですよね」と、久子さんは笑いながら話してくれました。「子供じゃなくて労働力だから、やらないというのはなかったです。十代の頃はね、お客さんに教えられてました。お餅の詰め方一つとっても、『あんた、こんなして詰めたらいけないよ』と教えてもらっていたんです。でも、今はもう、買いにくるお客さんのほうが若くなってますね」

もちのやまや
9:00-17:00(木曜 定休)


松原屋製菓

 こどもの健やかな成長を願ってつくられるお菓子は、カーサームーチーだけではありません。旧暦の5月4日は「ユッカヌヒー」で、こどもの成長を願ってポーポーというお菓子をお供えします。

 ポーポーとは、小麦粉を水で溶き、クレープ状に焼き上げ、棒状にまいたお菓子のこと。ユッカヌヒーに限らず、普段からおやつとして食べられていて、市場本通りの「松原屋製菓」で購入できます。

 昔ながらの味としては、黒糖味のもの(こちらは「ちんびん」とも呼ばれます)と、油味噌を巻いたものとがありますが、「松原屋製菓」には「クリームチーズ&あんこ入り」という変わり種も並んでいます。

「松原屋製菓」を創業されたのは、宮古島出身の松原ヨノシさん。戦後間もないころに、黒糖飴を売り歩くところから商売を始め、やがて現在の場所に店舗を構えられたそうです。

「私が小さい頃だと、合格発表の時期も忙しかったんです」。そう教えてくれたのは、ヨノシさんの孫にあたる真志喜のり子さん。「今はそういうお客さんは少なくなりましたけど、合格発表のお祝いに、カステラ紅白まんじゅう紅白餅を注文される方も多かったですね。あとは、やっぱり行事法事のときにお供えするお餅とお菓子ですね。行事ごとの時期になると、『市場にくるとお供物が揃うね』と言ってくださる方も多くて、ありがたいです」

 店頭にはポーポーのほかに、サーターアンダギーや塩ちんすこう、ジャーマンケーキやバターケーキといった洋菓子も並んでいますが、初七日から三十三年忌まで、法要に必要となるお供物のリストも貼り出されてあります。

「松原屋製菓」は水曜日が定休日ですが、「仏壇に供えるお菓子が必要になって、市場に買い物にきたお客さんが困らないように、他のお菓子屋さんとは別の曜日を定休日にした」のだと、のり子さんは教えてくれました。

「母はとにかく仕事に厳しくて、『いつ何時お供え物が必要になるかわからないのに、誰かがお菓子を買えなかったら大変だ』って、年中無休で営業を続けていたんです。私も中学生のころから店の仕事を手伝っていて、放課後は友達と遊ぶんじゃなくて、まっすぐ家に帰ってました。高校受験のときも、ちょうどお彼岸で忙しい時期と重なって、受験前日もお店で働いていたから、担任の先生に怒られましたね」

「松原屋製菓」の真志喜のり子さん

 沖縄には年中行事がたくさんあって、家族や親戚が集まって、お菓子をお供えする機会が多いのだと思います。沖縄のお菓子のことを知ると、沖縄の家族のありかたに思いをめぐらせることにもつながります。

 そんなお菓子を製造・販売するお菓子屋さんもまた、ここまで見てきたように、家族経営のところが多いです。お菓子屋さんを取材して、その来歴を聞かせてもらっていると、家族のすがたが浮かび上がってくるような心地がします。

松原屋製菓
沖縄県那覇市松尾2丁目9−9
9:00-17:00(水曜 定休)


末廣製菓

 ひとくちに「お菓子屋さん」といっても、その来歴を辿っていくと、原点となるお菓子があります。「てる屋天ぷら」はサーターアンダギーから、「松原屋製菓」は黒糖飴から出発したお店でしたが、1951年創業の「末廣製菓」は、カステラが人気のお菓子屋さんでした。

「昔はね、ヂーカステラというのはよく売れていたよ」。そう聞かせてくれたのは、「末廣製菓」の2代目・下地玄旬さん。カステラは結構披露宴の引き出物として重宝され、飛ぶように売れたそうです。

ヂーカステラというのは、長崎カステラとは別物で、蜂蜜や水飴は入らないわけ。ただ卵とメリケン粉を混ぜて、型に流して焼いて、お祝い事があればピンクの色を擦り込んで作ってたのよ。私が中学生ぐらいの頃になると、長崎カステラの職人さんを雇って、これがものすごく売れた。それで今の建物を作ったから、ここはカステラ御殿じゃないかと思うけどね」

「末廣製菓」を創業したのは、玄旬さんの父・下地玄幸さん。宮古島出身の玄幸さんは、中学卒業と同時に那覇に出て、お菓子屋さんで修行をしたのち、「末廣製菓」を創業しました。そんな玄幸さんを頼って宮古島から那覇に渡ってくる人も多く、「末廣製菓」には住み込みの従業員も働いていました。「従業員のお兄さんたちと、よく一緒に野球をしたり、沖縄相撲をとったり、こんなして遊んでもらっていたよ」と、玄旬さんは当時を振り返ります。

店頭にクリスマスケーキが並んでいた

「そんな環境で育ったもんだから、親父から『あなたが店を継ぎなさい』と言われて、自然と店を手伝うようになってね。親父の頃は和菓子が中心だったけど、クリスマスケーキは作ってたんですよ。味はそんなに美味しくなかったと思うけど、あの頃は洋菓子店というのはほとんどなかったから、それでも行列ができたらしいね。ただ、これからの時代は本格的な洋菓子じゃないと商売にならないだろうと、私が洋菓子を習いに行ったんです」

下地玄旬さん(2020年撮影)

 玄旬さんが洋菓子を、弟の玄洋さんが和菓子を学び、現在は兄弟ふたりでお菓子作りを続けています。最近の人気商品は手作りちんすこうで、以下の5種類のフレーバーがあります。

  • ぷれーんちんすこう(黒ごま入り)

  • 沖縄塩ちんすこう(白ごま入り)

  • 黒糖ちんすこう(白ごま入り)

  • 島とうがらしちんすこう

  • ぴぱーち入りちんすこう
    (※「ぴぱーち」とは、八重山諸島の島胡椒のこと)

「末廣製菓」はイートインも可能で、アイスコーヒーホットコーヒー(いずれも300円)と一緒に、和菓子や洋菓子をいただくことも可能です。イートインで人気なのは、何と言っても「ぜんざい」。ぜんざいと言うと、内地では温かいお菓子ですが、沖縄のぜんざいは甘く炊いた金時豆の上にかき氷がかかっています。

「末廣製菓」のぜんざい

 お菓子屋さんだけあって、ぷっくりした金時豆がとても美味しいです。シロップとしてかかっているのは、多良間産の黒糖。この沖縄ぜんざいの他に、いちご味シークヮーサー味マンゴー和菓子氷(抹茶味)があります。かき氷にかけるシロップにもこだわり、「末廣製菓」で独自につくったものを使用されています。

店内に目をやると、何枚か古い写真が飾られています。昔の「末廣製菓」の写真の中には、大きな鏡餅を囲んで記念撮影をしたものもあり、従業員の方たちもたくさん写っています。

鏡餅を囲んで記念撮影

「うちが一番忙しくなるのはね、昔は新正月だったのよ」と、玄旬さん。「末廣製菓」には、新暦のお正月旧暦のお正月の時期になると鏡餅が並びます。「復帰するまではパックの鏡餅がなかったから、すごく売れてたよ。私が高校生だった時分には、同級生を10名余りアルバイトに呼んで、交代で2時間だけ仮眠しながら餅をついてたね。今はもう、旧正月に鏡餅を作る店というのは、うち以外ほとんど残ってないと思うよ」

旧正月を前に、店頭に鏡餅が並ぶ(2020年撮影)

 沖縄の文化は、しばしば「チャンプルー」という言葉で形容されます。古来より中継貿易で栄えた沖縄には、外からもたらされた文化を取り込みながら発展してきた経緯があります。沖縄には沖縄ならではの「御願」(ウグヮン)がある一方で、鏡餅のように内地の文化も取り入れられています。

カステラは今も「末廣製菓」の看板商品のひとつ

 琉球の伝統的なお菓子から、鏡餅や洋菓子まで並ぶ「末廣製菓」のショーウィンドウを眺めていると、「チャンプルー」文化の豊かさを目のあたりにしているような心地がします。

末廣製菓
沖縄県那覇市松尾2丁目9−25
10:30-18:00(日曜は17:00閉店)


琉球菓子処 琉宮

 マチグヮーではここ数年、「OKINAWA」と看板に掲げるお店をあちこちで見かけるようになりました。それに気づいたのは、「琉球菓子処 琉宮」の看板に「Okinawan Sweets」の文字が掲げられているのを目にしたときのことでした。

「琉宮」平和通り店

「琉球菓子処 琉宮」は、平和通りサンライズなは商店街に店舗を構えるお菓子屋さんです。創業者の明石光博さんは、沖縄文化に魅せられて、20年ほど前に沖縄に移り住み、「琉宮」をオープンされました。

 きっかけとなったのは、物産展でした。熊本出身で、九州で営業の仕事をしていた明石さんは、ルートを巡る途中にデパートに立ち寄りました。そこで開催されていたのが沖縄物産展でした。当時は昭和から平成に変わるころで、今ほど沖縄の文化が広く知られておらず、初めて目にする食材に明石さんは魅了されました。とりわけ強く関心を惹かれたのがサーターアンダギーでした。

創業者の明石光博さん

 明石さんはサーターアンダギーのレシピを研究し、沖縄物産展に出展するようになります。明石さんのサーターアンダギーは好評を博したものの、「あんた、ウチナーンチュね?」とお客さんに尋ねられ、正直に「熊本なんです」と答えると、それなら要らないと返品されることもあったとか。

「沖縄から品物を仕入れて、沖縄のことを伝えたくて販売してたんですけど、自分の所在地が熊本なだけでガッカリされてしまう。どうしたいいんだろうって、10年間悩み続けたんです。ある日、『ああ、行けばいいんや』と思い立って、それから3ヶ月後には布団とフライヤーだけ車に積んで、鹿児島からフェリーで沖縄に引っ越してきたんです」

 こうして明石さんは沖縄に移り住み、サーターアンダギーを看板商品に「琉球菓子処 琉宮」を創業します。最初のうちは催事を中心に販売していましたが、リピーターのお客さんから「いつでも買えるように、店舗を構えて欲しい」という声が増え、2010年には公設市場の近くに「琉宮本店」をオープンします。

「琉宮」サンライズなは店

「私は沖縄の人間じゃないもんですから、コンプレックスみたいなものもあったんです」と、明石さん。「ただ、せっかく新参者が商売をするなら、自分だけが出せる売りを作らなきゃと思ったんです。沖縄にはなくしてはいけない文化がたくさんあるので、そのまま残すべきものはそのまま残さなきゃいかんと思うんですよね。その一方で、次の世代に振り向いてもらう必要もある。そのまま残すものと、アップデートしていくもの。ふたつをうまく融合して、幅広い層に沖縄の魅力を届けられたらと思います」

 その言葉通り、店頭には伝統的な琉球菓子だけではなく、ひと口サイズのサーターアンダギー「ちっぴるー」や、サーターアンダギークッキー焼きムーチーなど、伝統的な味をアレンジした商品も開発されています。こうして新しい視点が組み合わさることで、市場から新しい名物が生まれていくのではないかと思います。

 マチグヮーは那覇出身の方だけでなく、沖縄の各地から移り住んだ方たちが働いてきた場所でもあります。この20年は県外から移住してきた方のお店も多いですし、最近は海外から移り住む方も多く、多国籍なエリアとなりつつあるのを感じます。マチグヮーは那覇市の中でもごく狭い範囲ですが、小さな窓の向こうに、広大な世界が広がっているのです。

琉球菓子処 琉宮 平和通り店
沖縄県那覇市牧志3丁目1ー17
10:30-18:00(第3木曜 定休)

琉球菓子処 琉宮 サンライズ店
沖縄県那覇市牧志3丁目4−12
10:30-18:00(第3木曜 定休)


 今回紹介した5軒は、この5年のあいだに取材させていただいたお店です。マチグヮーの歴史と今とを記録しようと、毎月那覇に通って、2019年に『市場界隈 那覇市第一牧志公設市場界隈の人々』を、2023年の春に『そして市場は続く 那覇の小さな街をたずねて』をそれぞれ出版しました。もし今回の記事を通じて興味を持っていただけたら、ぜひお手に取ってもらえると嬉しいです。


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