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大声で話す人が苦手…HSPの聴覚過敏は「痛み」が伴うことも

先日の日中、電車に乗っていると、大声で話し続けるふたりの中年サラリーマンたちが乗車してきた。

彼らと僕は、車両の端と端という位置関係にもかかわらず、まるで耳元で話されているかのようなボリュームで、思わず耳を塞ぎたくなった。

時間は14時頃で、話している男性ふたりはもちろん素面だ。酩酊ゆえの大声ではない。

僕だけでなく同じ車両にいた何人もの人間が、ちらりちらりと男性の方に目をやっている。

「公共の場なのに、すごい大声で話してる」と眉をひそめたこの人たちも、もしかしたら僕と同じように、耳の奥に痛みを覚えていたのかもしれない。

HSPで聴覚過敏の人はかなり多い。

僕自身、良好な関係を築けるかどうかの条件のひとつに、相手の人の声のボリュームと声質が入るほど聴覚が過敏だ。

度々、取り上げさせていただいている橘玲さんの『スピリチュアルズ 「わたし」の謎』

の中で「内向的、外向的という性質は刺激への敏感性への違いである」という記述があり、自己の特性の理解が進んだ。

がなるように話すふたりにとっては、お互いの大声は全く気にならないし、きっと「自身の声が大声である」という認識すらないだろう。

大声で話す人は、自分にとって痛みを与える人だったのだ。

声質は生まれ持ったものが大きいのでしかたないのだが、ノイジーな声質の持ち主に対しても僕は攻撃されたと感じ苦々しい思いを抱いていた。

例えると、無数のイガイガが耳の中へ侵入してきて鼓膜に突き刺さるような感覚。

交感神経が優位になり、緊張状態が長期的に続く。

HSP気質の人間は、聴覚が刺激されない環境の確保が必須だろう。

「1/f(えふぶんのいち)ゆらぎ」が感じられる自然環境や、朝の静寂は心地よさを感じる。

聴覚過敏はストレス要因になりやすいが、細かな音を聞き分けられる利点にもなる。

耳が心地よいと感じる音をできるだけ日常で取り込めれば、それが心の安定にもつながる気がしている。

そんなことを早朝の静寂の中で、カタカタとキーボードを叩きながら考えた。

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