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自己肯定感を無理に上げるとヤバい!?危険いっぱいの呪いワードかも?

自己肯定感という言葉をよく目にします。

誰が提唱した言葉なのか気になったので、Wikipediaで調べてみました。

「自己肯定感」という言葉は1994年に高垣忠一郎によって提唱された。高垣は自身の子どもを対象にしたカウンセリングの体験から、当時、没個性化(不登校・無気力・自殺などの根底にある、自己・個・人格・生きる意欲の喪失化)が生じていた子どもの状態を説明する用語として「自己肯定感」を用いている

Wikipedia「自己肯定感」


臨床心理学者の高垣忠一郎さんが、1994年に使い始めておられます。そこから様々な場所で用いられるようになりました。

「始めに言葉ありき」は、新約聖書の一節ですが、人間は言葉の影響を強く受けます。

どこまで本当か定かではないものの、「肩こりという言葉ができてから肩こりになる人の数が急増した」なんてことも言われていますね。

自己肯定感という言葉が定義されてから、自己肯定感の低さに悩む人が増えたのではないでしょうか?

原始時代にウホウホ言ってた人達は、恐らく自己肯定感の概念など持たず、それゆえ自己肯定感で悩まなかったはず。

もちろん自己肯定感は、ある程度、高い方が生きやすいでしょう。

ただし「上げなきゃ、上げなきゃ」となってしまうと、自己肯定感を上げることが目的になりすぎて、反対に上手くいかない気もします。

自己肯定感という言葉を意識しすぎると、体が硬くなりいつもできている自然な動きができないことも…。

自分を理解し受け入れ、自然体で「日々、丁寧に暮らしているうちに気づけば上がってた」みたいなのが理想ですね。

四十数年生きてきて思うのは、自己肯定感はその日のコンディションにかなり左右されるということ。

睡眠の質が悪かったり、気圧の低下によってどんよりしているときは、「何もしたくない」「うどんぐらいしか食べる気がしない」(※「ああエキセントリック少年ボウイ」の歌詞で笑)という気持ちになります。

👆こちらは奥田民生バージョン。

睡眠の質がばっちりなときは、「あれもしたい、これもしたい、もっとしたい、もっともっとしたい」とブルーハーツの歌詞にあるように、意欲が湧き、自分という生き物を前向きに受け止めやすくなります。

「夢」は元気がもらえる名曲ですね。

さて何かの成功体験で、急に自己肯定感がむやみやたらに高くなると、人の気持ちに意識が向かず「これぐらいできて当たり前」「俺は何をしても許される」と思いあがる危険性も。

たまに芸能人、アスリートなどの有名人で相手を雑に扱いすぎたあまり恨みを持たれ、週刊誌にLINEのやりとりなどをリークされることがあります。

あれなどは、不自然に高くなった自己肯定感の結果であり、報いです。

その人に合った自己肯定感の程度があるはず。「高ければ高いほどいい」というのは、危なっかしい考えだと感じています。

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