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小学生の頃の思い出|全身金色の「金ピカおじさん」彼は地域の危険人物だった⁉

僕が生まれ育ったのは京都の田舎の方で、自転車で10分ほど走ると大きな山があった。

自然が豊かで幼少期、昆虫採集に没頭できた経験を宝物のように感じている。

僕が暮らしていたのは新興住宅街で、林を切り崩して家がどんどん建てられている地域だった。今とは異なり、中流社会がしっかり存在しており日本の経済も豊かな頃だった。

小学校の頃は、友だちと少し離れた隣町へ繰り出し、駄菓子屋で遊んだりと牧歌的な環境でのんびり過ごした。

隣町に「金ピカ」と呼ばれるおじさんがいた。

金のハットに金のジャケットで全身を金色で固めた彼は、当時すでに還暦近かったのではないだろうか。

人に承認されたくてド派手な格好をしていた彼だったが、派手すぎて地域のヤバイ人認定され、返って疎遠になる皮肉な結果を招いていた。

平日の明るい時間にもかかわらず、ワンカップを片手に所在なさげに辺りを歩いていた。もちろん仕事はしていなかっただろう。

「金ピカ」のおじさんは、ちょっとした地域の有名人。保護者からは危険人物と認識されており、僕らは「あの人に近づいてはダメ!」と釘を刺されていた。

でも子どもからすると、謎の人物というのは興味を惹かれるものである。

ある日、僕らの仲間で勇気あるひとりが「金ピカ」のおじさんに近づき話しかけた。

その友人の少し後ろで、こわごわ「金ピカ」のおじさんを見ていた僕は「酒臭いなあ」と思いつつも彼から強烈な寂しさを受け取った。

深い皺の奥にある小さな瞳は悲しみであふれていた。

彼の小指の先は欠損しており「おっちゃんは昔、すごい人やったんやで」と言いながら数々の武勇伝を嬉しそうに話す。

今、振り返ると「さすがにそれはないやろ」といった大げさな話ばかりだったが、僕らは彼の話をワクワクしながら聞いていた。

数年経って「金ピカ」のおじさんの姿は見えなくなり、風の噂で「亡くなった」と聞いたとき寂しさを覚えた。

「愛の反対は無関心」というが、彼がいつも全身を金色でコーディネートしていたのは「俺はここで生きてるんや」というのをアピールしていたにちがいない。

昭和の残滓といえばそれまでかもしれないが、今でもたまに「金ピカ」のおじさんが猫背でゆっくり歩いていた姿を思い出す。

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