ダメダメな日の受け入れ方「あかん自分に〇をあげ、ぼちぼち行こか」
十代、二十代、三十代と何かにつけて抗うことが多かったです。
内向的なのに、無理やり外向的に振る舞おうとしたり、疲れているのに元気に振る舞おうとしたり、よくしていました。
頑なに張ると書いて頑張るですが、まさに頑なに張っていた日々。
四十代に入り、自分がHSP気質であることをいよいよ実感するようになってからは、だんだんと抗うことをやめるようにしていっています。
完璧主義が強いときは、「毎日を100点の充実した日しないと!」といった、どこか強迫的な思いを抱えていました。
しかし最近では、「あかん日はあかん日でしかない」と割り切り「今日も、一日生き抜いたからそれでよし」と、自分に丸をあげるようにしています。
調子の上がらない日があるからこそ、調子の良い日もあり、人はバイオリズムの中で暮らしています。
これには、抗いようがありません。
明石家さんまさんの座右の銘は「生きているだけで丸もうけ」。これが縮まって、娘さんの名前が「イマル(IMARU)さん」になったのはファンの間で、有名な話。
さんまさんの師匠である笑福亭松之助さんは、修行時代のさんまさんに「人間、生まれたときは真っ裸。オムツでもなんでも一枚履いた時点で勝ちやないか」とおっしゃっていたそうです。
すごい境地で、この考えがさんまさんへ受け継がれている感じがいたしますね。
「生きてりゃ色々あるさ」と良いときも悪いときも受容することで、心を軽くできます。そしてまた次の日を迎えられます。
何かに急き立てられるように強迫的な生き方を続けた結果、ワーカホリックという仕事中毒の状態に陥り、苦しみました。
それを抜けられたのが、今年に入ってから。
今年の2月に始めたnoteにはずいぶんと助けられています。
思えば本年は、意図的に生産的ではない時間、生産的ではない一日を作っています。
生きているだけで細胞を作っていると考えたら、もう充分何かを生産しているような気もしますね。
気張りすぎずに、ぼちぼち行くのが自分には合っています。
「ぼちぼち行こか」って、良い言葉ですね。
生真面目に張り切っていた自分も自分の一部でしたが、ゆっくりまったり過ごしている今の自分の方が好きです。
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