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「自分を向上させるのか、自分を変えず人を見下げるのか問題」いわゆるシャーデンフロイデ

シーンと静まり返った舞台。女性のお笑い芸人は憎々しい表情で「今日は残念ながら、私の感性に、みなさんがついてくることができませんでしたね」と口にする。

客席にいる、まばらな人たちは彼女の発言に唖然としていた。

もう20年近く前になるが、地下の小さな小屋で行われたあるお笑いライブの一コマだ。

ちなみにこの女性芸人は、この日、ひとつも笑いを起こすことができていなかった。

「うまくいかない原因は何だったか?」の問いに対して、自分に責任があると考える人は自責傾向が強く、他人に責任があると考える人は他責傾向が強い。

多くの人が状況に応じて、自責と他責を使い分けているのではないだろうか。

他責に明け暮れていると、ちっとも成長できなくなる。

さてシャーデンフロイデという言葉がある。

平たくいえば「他人の不幸は蜜の味」というやつだ。

自分と関係のない人間に不幸なことが起こり、制裁を加えられたり地位を失うなどを見て「調子に乗ってくるからだよ」とほくそ笑むのがシャーデンフロイデ。

不倫をした芸能人がこれでもかと叩かれるのは、シャーデンフロイデのわかりやすい例だろう。

シャーデンフロイデは、自分が直接手を下さないような遠い関係性に置いて成り立つ。

つまり不祥事を起こした有名人がどれか失墜しようが、それを見て悦に浸っている人間は向上することがない。

ただし心理的にはスッキリしてしまう。シャーデンフロイデでカタルシスを覚えると、心理的な傷が癒え自尊心の回復につながることもあるというのだから人の心は複雑だ。

前に学生時代が不遇だったと自認しているある人とお話をする機会があった。

かなり一方的に話す人で、相手の気持ちをお構いなしでボケを挟んでくる。

その人いわく「俺のボケが高度すぎて、理解できる人間は少数だ」とのことだった。

この他責発言は自分が傷つかないように理屈を組み立てる、防衛機制の合理化だ。

「私の感性についてこれない」と語った女性お笑い芸人と同じ心理である。

最も有名な合理化の例は、イソップ童話のキツネの『酸っぱいブドウ』だろう。

合理化は無意識に起こることが多いので、なかなかコントロールすることは難しい。

合理化をしてしまうこと自体誰でもあるので、必要なのはその後、冷静に自己の改善点を見出すことだろう。

そうすれば人を見下す負のスパイラルから脱して、自分を成長させられる。

漫画家・青野春秋氏の作品『俺はまだ本気出してないだけ』

このタイトル自体、合理化に該当するが、この漫画が有名になり映画化されたのも、多くの人が共感を覚えたからではないか。

常に「自己の改善点を見出して、成長し続ける」という考えは文句なしに素晴らしい。しかし、そこまで人間が成長意欲あふれる存在ばかりかといえば、そうでもないだろう。

晩酌しながら「馬鹿だな、またやってやがる」と大して知らない人の失敗を見て、ほくそ笑む。

こういう人は、むしろすごく人間らしいとすら感じる。

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