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「性格悪い人」VS「大人しい人(HSP)」:真面目で大人しい人(HSP)ほど損をする

建前上は、「性格悪い人」というのは、それなりに因果応報的な報いを受ける、と言われる。性格悪くて悪行を重ねていると、いずれしっぺ返しを食らうぞ、的な。

でも、現実の世界をよくよく観察してみれば、「性格悪い人」がそれほど悪い思いをしていることはあまりないのが現実である、むしろ、「性格の悪い人」の方が、その性格の悪さを存分に発揮して、「いい思い」をしていることの方がはるかに多いことに気がつく。

それから、「あの人は性格がいいから好かれている」とか、「あの人は性格が悪いから嫌われている」、などとよく言われる。

しかし、それは本当のところ、よく観察すると、「あの人は人に気に入られているから性格がいいはず」、「あの人は嫌われているから性格が悪いはず」と、「逆」から判断していることがほとんどである。

世の中では、実際のところ、「気に入られている人→性格がいい」、「嫌われてる人→性格が悪い」、という風に、「人に気に入られるかどうか」から「性格の良し悪し」を図っているのである。

先に「性格の良し悪し」の判断が来るのではなくて、「気に入られるかどうか」で、性格の良し悪しを決め付けているのである。つまり、「性格がいいから人に気に入られる」、ではなくて、「人に気に入られる人だから性格がいい(はず)」、という思考回路だということである。

結局、人は「性格の良し悪し」など判断できない。その人が気にいるかどうかで決めていて、「気に入った人=性格がいい」、「気に入らない人=性格が悪い」、なのである、実のところ。

だから、気にいるかどうかが全ての判断材料だということである。もし、「性格がいい人→気に入られる人」という思考回路なら、善良たるHSPは人に気に入られる大人気者であることは確実だからであるww(しかし現実は真逆であることから、これが正しくないことがわかる)

このように、客観的な性格の良し悪しなど関係なのだから、本来善良で人畜無害なHSPは「性格いい(少なくとも悪くない)人」ということになるはずだが、「大人しい人」は人に気に入られない、つまりは人気がないので、「性格がいい人=気にいられる人」とは見られない。これが、善良で性格の良いHSPが世の中で理不尽な目にあう理由である。

つまり、「性格悪い人」と「大人しい人(HSP)」では、「性格悪い人」の方が気に入られやすいため、前者がいい思いをすることになる。

「真面目な人ほど損をする」とかいった類のことは、言い古されたことであるが、やはりHSPの場合、「真面目で大人しい人ほど損をする」というのが真理である。

何で善良で人畜無害なHSPの方が、性悪な人間よりもひどい目にあうのか、損をするのか、というのは、本当に人間社会の大きなテーマというしかない。

HSPというか、「善人がなぜひどい目にあうのか」というのは古来からの問いであり、これが「悲劇」の根本だというのだが・・(アリストテレス様風に言えば)。

まあ、古今東西、人間が惹かれるのは「善良さ」とか「真面目さ」ではなくて「かっこよさ」とか「強さ」だから、というと一言で終わってしまうが。人間は(星の数ほどいる一般大衆は)、「カッコいいワル」、「カッコいい不良」というのを一番好む、ということに尽きるのだが。

 

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