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HSPの差別問題と「差別格差」の問題

今の世の中、差別問題って常に問題になるトピックである。人種とか宗教とか性別とか何とかマイノリティーとか、色々。

世界では(欧米先進国では)、いつも何らかへの差別問題でデモとか抗議運動とかで騒いでる。時には暴動になることも珍しくない。

その度に世界的なムーブメントになって、〇〇を差別してはならない、みたいなスローガンが広がっていくっていう。

古くからの黒人などの人種差別問題、ユダヤ人などの差別問題に始まり、最近ではLGBTだとかの性的マイノリティーだとか女性差別問題(主にセクハラ)の再燃とか、なんでもござれである。

もう次から次へと、これこれを差別すんなムーブメントが起こって、ああ今度はこれが来たか、という一種の流行?みたいになってる。

でも、世界的な流行になる差別問題って、いつも裏がある。第一に、差別を受けている当人たちがおとなしくなく黙って我慢してないでギャーギャー騒ぐこと。第二に、そういう抗議運動に裏から資金供与して差別問題を巧みに政治的に利用する勢力(マスメディア含む)がいること。

この二つがないと、世界的な運動になってかない。少し考えればわかるけど、こういう運動って、差別を受けている当人たちがいくらデモや過激な抗議運動しても、それがマスメディアにセンセーショナルに取り上げられなければ世界に広がらない。

こういう差別運動って、必ずマスメディアの影響が甚大であり、メディアの力なくして影響力を持てない。だから、こういう運動が広がるのって、必ず裏の意図がある。

話は逸れたけど、だから、本当は差別なのに全然取り上げられない問題って多くある。宗教問題でも、ユダヤ人差別は大きく問題視されるけど、逆にユダヤ人優遇は問題視されないことが多い気がする。これも、世界を牛耳る金持ち連中にユダヤ系が多いからだが。

それと、イスラム系への差別は世界的なテロ問題以降、かなりひどいことになってるのに、世界中でガン無視している。普通の白人なら「差別だ!」と言って大騒ぎするようなことを普通のアラブ人にしても、問題視されない。

それから、アメリカの例で言えば、黒人差別問題は非常にセンシティブで重大な問題とされているのに、アジア系への差別問題はほとんど無視されている。これは、黒人は何かあるとすぐに差別だと言って大騒ぎするのに、アジア系は差別されても我慢しておとなしくしている傾向がある、というのも大いに関係はしているのだが。

このように、差別問題ってキリがないけど、その中でも重要視されるのと、ガン無視されるのの差が大きすぎて、世の中って所詮理不尽だと思う次第・・。

翻って日本の場合。日本だと、その人種とか宗教とかの差別っていうよりも(むしろ宗教は優遇されすぎなような)、「激しく主張するかどうか」で差別が重要視されるかされないかが決まるようなところがある。

モンスターカスタマーとか典型例だが、ギャーギャーうるさくいう人間に弱いというか、「物事を荒立てたくない」という気質がマイナスに働くというか。相手がギャーギャー騒ぐと、「ああもういいよ、分かったよ」みたいに折れる人の多いこと。

だから、センシティブな在日特権問題とかが典型例だが、ギャーギャー派手にうるさく騒いだもん勝ち、みたいなところが非常に強い。

欧米の場合、①うるさく騒ぐこと+②裏の勢力系(資金提供や政治的意図)、という二つの要素が必要と書いたけど、日本の場合は、「うるさく騒ぐこと」の方が圧倒的に重要な気もする。

例えば、北朝鮮の拉致問題にしても、被害者家族が熱心に訴えて活動しなければ(有名人ではない普通の一般人がこういう活動をするのはとても大変なこと)、世間に認知もされず、現在でも「なかったこと」とガン無視されていたのは確実だ。

かように、日本では、うるさく騒ぐかどうかが、結構重要なポイントだったりする。

もう一つ、これは日本だけでもないだろうが、「世論のムーブメント」により差別問題が作り上げられる、というのがある。簡単に言えば、マスメディアの作り上げたムードにより差別運動が作られることである。日本は、欧米の「裏の勢力系」というより「マスメディアによる扇動系」が多い気がする。

例えば、今の日本は少子化による過剰なまでの子供優遇の風潮が出来上がっているので、子供の差別問題にやたらとセンシティブになっている。

子供の貧困問題とか教育問題とか、やたらに「子供は全て平等である、あらゆる子供の差別問題をなくさなければならない」風潮がゆきすぎている感がある。全ての子供が大学まで行く権利がある、みたいな風潮さえ出てきてる。

それと、ここ数年流行りの発達障害問題(主に子供の)。最近、やたらにメディアでも盛んに「発達障害の子供を理解してあげなければならない」みたいに煽りまくってる。こんなもん、昔からあったが以前はただの問題児、迷惑児童としてガン無視されてた。

これが、今は被害を受けている方が「発達障害なんだから理解してあげなければならない」みたいになってる。これぞ逆差別というか。

今の日本は、こういう優遇されるものの立場が強いため、反対に優遇を受けない人の方が逆差別みたいなことも多い。

なのに、子供であっても、いじめ問題とかは相変わらず放置だし、いわゆる「非正規問題」(この非正規という言い方自体が差別的)とかも、目をつぶったまま。

要するに、「弱いもの」「大人しいもの」に対する差別とかは、「それは仕方ない、当然だ」と思っていて、それに対する問題意識が全くない。

日本は、こういう過剰に優遇する対象と、冷淡に切り捨てる対象が、くっきり分かれている傾向がある。

前置きがだいぶ長くなったが、HSPの差別問題である。HSPというか、つまりおとなしくて気が弱そうな人、あるいはそのように見えてしまう人というのは、あらゆる場面で差別というか、ひどい扱いを受けることが多い。それはあまりにもひどすぎるでしょ、というものも数多い。

でも、HSPの差別問題というのは、世間に問題視されることはほとんど永久になさそうだと思う。発達障害とかわかりやすいものではないし(HSPはただの気質であって、発達障害とかの「障害」ではないので、念のため)、弱そうな人が不利になるのは人間社会で当たり前、みたいに思われてるから。

しかし、他の被差別者がどんどん「差別だー!!」と騒いで、その地位を向上させて行くのに対し、HSPの差別は永久に置いてけぼりなんだろうなあ・・と思ってしまう。そもそも、HSPの差別って、差別問題とも思われてない節があるし。

要するに、世の中には様々な差別があるけど、その各種差別グループの中でも、「格差」がどんどん開いて行くというか。今流行りの経済的格差だけでなく、「差別格差」がどんどん開いて行くわけ。(「差別格差」という言葉は今作った言葉だが、なかなか言い得て妙ではないか?いずれ誰かが使い出しそう)

もちろん、HSPの人がおとなしくてギャーギャー騒がない、というのも理由の一つとしてはあると思う。「非正規」の人って概して大人しい人が多いけど(大人しいから非正規に追いやられるということがある)、世の中が非正規問題を無視して現状肯定しているのも、やはり非正規の人が全然騒がないから、というのも一つにはあると思う(非正規問題の方がもっと根深いけど)。

だから、自分一人でも、世界の片隅からでも少しでも騒いでやろうというのが、このブログの趣旨でもある。

つうか、HSP問題って、正確に言えば、差別というよりは「いじめ問題」 に近いんだよな・・。国籍だの宗教だの人種だの具体的なわかりやすい「何か」を基準にして、それを元に差別しているというのとはまた違うから。

世の中、差別はダメだけど、いじめは何だか許容されている雰囲気なのが昔から腹がたつ。だから、具体的な「何か」が元にある「差別問題」は勢力を増しやすいけど、いじめ問題はまるで分が悪い。

突き詰めて考えれば、「〇〇に基づく差別」というのは言葉で単純に分かりやすいものだから認識もされやすいけど、「いじめ問題」というのはいじめの元になるものが曖昧で言葉にしにくくて分かりにくいものだから、放置されている、というところなんだろう。

それでも、上記で書いたように、同じ「差別」でも重大視される差別もあれば軽視されている差別もある。「差別」なら問答無用でダメで「いじめ」は許容する、という単純なものでもない。

根本的には差別もいじめも根っこは同じものだと思うし、両者が混在していることが多いのも事実なんだろうけど、なんか釈然としないものが残る・・。


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