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振り返ると、私の青春は全てフェスだった。



初フェスは、2015年のレディクレ(RADIO CRAZY)だった。


右も左もわからないままの初フェス、しかも真冬(12月)のフェスだった。おそらく2days。


友達も初フェスで、当時高1だった私達は、とにかく若かった。2人でお揃いの短パンを購入し参戦しており(※真冬です)、休憩もあまり取らず、とにかくタイトなスケジュールを組んでいた。


初めてのモッシュで酸欠状態&水分もなく脱水症になり、私は初フェスの洗礼を受けたのだ。


このことは2人とも鮮明に覚えており、今でも笑い話として話題によく出てくる。


当時、大好きだった(今も好き)back numberがトリを務めており、感動してずっと泣きっぱなしだったこともよく覚えている。


2回目のフェスは、2016年のメトロックである。


メトロックは今まで東京でのみの開催だったが、この年から大阪も開催されるようになり、初めて夏フェスへ行くことに。


このフェスでの1番の思い出は、大好きだった(今も好き)星野源に会えたことである。


星野源を拝むために何時間も前から前の方で待機しており、人でぎゅうぎゅう詰めの中、何時間も立ちっぱなし。今思えば、恐怖である。


あの時の高揚感、感動、全て覚えている。気がつけば登場してから退場するまで一生泣いているやばいファンになっていた。


そして、その後は[Alexandros]が大トリを務めていた。


全て終わった後、一緒に行っていた友達(前回と同じ)も大号泣して戻ってきており、2人ともそれぞれ推しの生歌を聞き、泣きまくるという最高の忘れられない思い出がある。


3回目のフェスは、ラシュボ(RUSH BALL)だった。


私にはいつも一緒に行ってくれる1人しかフェス友がいないのだが、その友達にはフェス友が何人かいて、その何人かでワイワイ楽しんだのだ。


若気の至りというのかなんというか、当時は最前列で見るのが正義と思い込んでいた節があり、目当てのアーティストを近くで見るために暑苦しい人混みの中、耐えに耐えていた。


その結果、気分が悪くなり、途中で少しずつ後ろへと下がっていくという、己の限界を知った1日であった。


この時もまた忘れられない思い出があるのだが、友達の友達がWANIMAのファンで、もみくちゃにされながらも最前列で見ており、鼻を折られるという大怪我を負った後、WANIMAファン皆で集合写真を撮る時に、どセンターを陣取ってドヤ顔でタオルを掲げていたことである。


あの時は皆、若かった。とにかく、若かった。


その後も、色々なフェスに行き、もはや夏と冬はフェスに行くという、恒例行事となりつつあったのだ。


ところが、突然、コロナという病気が全国的に大流行、自粛自粛と言われ、フェスどころではなくなった。


その頃には社会人になっており、コロナを機に少しずつフェスやライブへの関心が薄れていったのだ。


コロナが緩和され、自由にフェスにも行けるようになり、久しぶりにいつも一緒に行っていたフェス友と遊んだ時に「フェスに行きたい!」と気持ちが一致した。


数えてみると、実に4年ぶりのフェスであった。


タイミング的に行けそうだったのが大阪で開催されるOTODAMAだったので、いつものフェス友と、WANIMAで鼻を折られた友達と、3人でフェスに行ってきた。


レジャーシートを持っていき、横から聞こえてくる爆音の音楽を聴きながら、友達と近況報告したり、推しのアーティストの時は、各々で見に行ったりして、過ごしていた。


あの頃はあの頃で、楽しかった。休憩する暇もなく走り回って、色々なアーティストを見ることが楽しみだった。


でも、ゆっくり座って、美味しいお酒を飲みながら音楽を聴く。こんな楽しみ方も悪くないなと思ったし、改めて、私達は大人になったのだな、とフェスへ行き実感したのだ。


一度好きになった音楽やアーティストのことって、少し気持ちが離れてしまうこともあるけど、長い目でみると、結局ずっと好きだったりするんだよなー。


そういえば、あの頃、好きだったなーと懐かしい気持ちになれたフェスだった。


音楽には何度も何度も励まされ、心を動かされた。これからもきっと、お世話になり続けるだろう。あの頃の青春をまた思い出したい時に、友達を誘って一緒に行こうと思う。






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