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ふと出会う文章 文芸誌の魅力

わたしが初めて文芸誌を買ったのは高校一年生のころだったと思う。河出書房新社が出している「文藝」が文芸誌との出会いだった。特集が「金原ひとみ責任編集・私小説」の回だ。

文芸誌とは小説の月刊(季刊)誌のことである。日本で五大文芸誌と言えば、新潮社の「新潮」、文藝春秋の「文學界」、河出書房新社の「文藝」、講談社の「群像」、そして集英社の「すばる」だ。この五つは全て純文学に特化した文芸誌だ。

もちろん五大文芸誌意外にも様々なジャンルの文芸誌がある。例えば最近わたしが読んでいるのは、河出が創業140周年記念に出している「スピン」である。限定16号で、なんと一冊330円で名だたる作家の作品を読むことができる。
純文学以外にも、エンタメ(歴史・ミステリ)の作品を掲載しているものや、短歌や俳句、詩といった作品を掲載しているものなど、文芸誌の種類は多岐に渡る。

わたしは定期購読をしている文芸誌はないので、いつも連載はスキップしがちなのだが、読み切り小説や特集、対談企画など文芸誌の魅力はたくさんある。

とくにわたしが感じる文芸誌の魅力は、自分から進んで読まなかったかもしれない作家の文章を一度に味わえるところだ。たまたま同じ本に収録されているから読んでみよう、と何の気なしにぱらぱら読んでいると、雷に打たれるような文章と出会えることがあるのだ。

そんな文章に出会えたとき、とても得した気分になる。そしてそんな文章を求めてまた文芸誌を買ってしまう。単行本になる前の、または本にならない可能性もある「知る人ぞ知る」感がわたしを喜ばす。文芸誌を読むとき、宝探しをしているような気分にもなる。

そして文芸誌で知った作家の作品を買ってみようかな、と次の読書へと繋がる。文芸誌には可能性が詰め込まれている。同じ作品でも文芸誌で読むのと単行本で読むのでは印象もかなり変わる。言葉の組み方やページのめくる箇所など、読書の奥深さを感じられる。

わたしも最近文芸誌でびびっと来る文章と出会った。それは「スピン2」に収録されている平岡直子の「幽霊」というエッセイだった。

生活リズムが違うせいか、隣人たちとは今のところ会ったことがない。顔も知らず、生活音だけ聞きつづけているのは、なんだか幽霊を相手にしているようなものだ。そして、幽霊というのは理想の同居人なのではないかというのがこのごろの考えである。顔も合わせず、会話をする必要もなく、ただ気配だけを感じられるというのは、人間関係のなにか究極のかたちだ。

スピン2
「幽霊」平岡直子

この数行の文章に出会えるだけで文芸誌を買ってみて良かったな、と感じた。会ったことがない隣人のことを幽霊を相手しているよう、と考えるのは面白いし、言葉選びも凄くしっくり来た。「理想の同居人」「人間関係のなにか究極のかたち」など、新しい価値観が自分に備わった気がした。

自分が選んだ作品ではなく「ふと出会う」体験は、普通の読書とはまた違う喜びを感じられる。ぜひ一度文芸誌を買ってみてほしい。そして文芸誌の存在がもっともっと広まってほしい。

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