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わたしのためのヘアドネーション

高校二年生の修学旅行(2022年10月頃)からずっと伸ばし続けていた髪の毛を切った。伸ばした髪は31センチに達していたので、それをヘアドネーションすることにした。最初はこんなに伸ばす予定ではなかった。というか、本当に気づいたら伸びていた、だから寄付した。

なんとなく自分の髪の毛のことは記録しておこうと思って書いている。だからこれは寄付の推奨だとか、そういうのではない。

髪の毛はわたしにとって「どうでもいいもの」だった。友達が髪の毛のケアだったり、アイロンで巻いていたりする横で、本当にぼっさぼさの頭のまま学校に通っていた。

そんなわたしも修学旅行のときくらいは綺麗な格好をして写真に写りたいと思って、整えて行った。その修学旅行中にコロナに罹ってしまい、旅行先で取り残されることになった。やがて療養を終えて、親に迎えに来てもらったのも束の間、二ヶ月ほどしてからコロナの後遺症を発症した。

2024年の現在も後遺症は治っておらず、自分の生活はままならない。進学もなにもかも諦め、五十を越えた母に十八の娘が介護同然のことをしてもらって過ごしている。髪の毛なんかは切る姿勢もしんどく、美容院に行けない日々だった。お風呂に入るのも一苦労で、日に日に伸びゆく髪の毛は母に洗ってもらっていた。

後遺症になって一年半ほど経ったとき、ヘアドネーションのことを調べた。31センチ以上あれば、小児がんで困っている患者──わたしと同じような年齢、又は歳下の子供たちにウィッグとして役立てられると知った。
一年半、無駄に過ごしたと思っていた日々、死んだも同然だと思った日々が、肯定されるような気がした。わたしのヘアドネーションは自己満足だ。わたしが、わたしの生活を肯定するために必要な「手段」だ。

六月、わたしは家で髪の毛を切った。体がしんどくて美容院へ切りに行けなかったから、切り目はざくざくで下手くそで醜い。全然可愛くない。でも、どうでも良かった。わたしは元々天然パーマだったこともあり、気にならなかった。(そもそも家の外に出ることなんて病院以外でないし。)

苦しい日々を共にしていた髪の毛を手放すことは少しだけ惜しかった。でもやっぱり誰かに役立てられるなら、嬉しい。わたしは健康をなくして、できることが少なくなった。迷惑もたくさんかけている。だからこんな自分でもまだできることがある、ということに勇気づけられる。

根本を見ればざく切り感が伝わる(とくに左から3本目)
ざく切り

切ったわたしの立派な髪の毛は、一年半を生きた証にさえ見えた。

生きることを、生活することを肯定して、絶対に後遺症を治そうと思っている。そう思えたので、ヘアドネーションをして良かった。

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