北海道に行った話
北海道が最も美しいのは桜が散ってから夏至までの2か月弱だ。冬の気配は完全に消え去り、長くなる一方の日照時間はよいことへの期待に満ちている。これといったイベントはない。なぜなら全てが祝祭だから。
しかしながら、首都圏に暮らすカレンダー通りの勤め人にとって6月はひたすらに耐え忍ぶ月間だ。平日が5日並んで週末が2日というサイクルをひたすら繰り返す。連休は5月、三連休は7月、梅雨の6月……
漫然と過ごしがちな6月に、えらい人はこう言った。
6月を制する者は人生を制す。
ひとつひとつは些細なことで、それだけでは理由にならないものだ。曰く北海道は6月がベストシーズンであるとか、曰く音威子府の畠山製麺が8月で閉店するとか、曰く天北線の代替路線バスが廃止になるとか、曰く遠い親戚が亡くなったとか……
こうした用事が積み重なって、連休のない6月に北海道に向かったのであった。去ったものと去りゆくものへの挨拶のための弔いの旅だ。
プラットホームに満ちた夕方のむわっとした湿気はそれだけでノスタルジーだ。仕事を少し早抜けして、東京駅17時20分発はやぶさ39号。北海道へ渡る新幹線の終電1本前。ピンクの代わりに紫のラインが入ったJR北海道持ちのH5系はこないだの地震で1本が廃車になって残り3本のうちの1本を引いた。
道が補助を出して破格の「HOKKAIDO LOVE!6日間周遊パス」は道内限定販売かつ利用開始日の前日までの購入が条件。新函館北斗駅の券売機もみどりの窓口も22時クローズ。はやぶさ39号の到着時刻は21時44分。必然チョイスだった。
カーシェアをチョイ乗りしてハセガワストアへ。函館に住んでいた時は近所になかったから焼き鳥弁当を食べるのは初めて。駅前に何がなくとも、カーシェアさえあればどうにでもなるというのは都合がいい。
翌朝は北斗1号で北進。車窓の緑が淡い。曇り空すら愛おしい初夏の北海道。
10分の接続でライラック11号へ。線路端に紫やピンクといったご機嫌な彩りの花が目に入る。ルピナスだ。名前と見た目が一致したのは初めてだろう。道指定外来種だそうで、本当はあまり喜ばしいものではないそうだ。
旭川の到着の定刻が見込まれる時点で、すなわち5分のりかえがつつがなく実行できると見なした時点で、名寄から先のバスを予約する。飛び込み予約である。
旭川で対面に控えているなよろ1号は、なんと座席が埋まっていた!しょうがないので、喜び勇んで助士席の後ろに陣取ってかぶり付きをすることにした。新型の気動車は塩狩峠を苦も無く越えていく。
名寄で先ほど予約した道北バスのえさし号に乗り換える。これで後続のサロベツ1号より1時間ほど早く音威子府に到着できる。ここまでで函館から8時間。
音威子府の畠山製麵は真っ黒いそばの生産で知られている。元々は音威子府駅の立ち食いそばの「常盤軒のそば」だった。常盤軒はコロナ禍で休業している間に店主が亡くなってしまったという。そしてこの夏で製麺所も店主高齢のため廃業となる。
元来が駅そばだからありがたがって食べるものではないかもしれないけれど、宗谷本線沿線で鉄道に関連した名産としても存在は唯一無二のものであった。
私とえさし号とほぼ同着の天北線代替バスからの乗客が道の駅おといねっぷの食堂「天北龍」に訪れたところでちょうど品切れとなった。サロベツ1号だったら間に合ってなかった。
サロベツ1号で最後の一走り。雨の心配こそないがだんだん曇り空になってきた。利尻富士は島影さえ見えない。
稚内に着き次第再びカーシェアを借りて、ご挨拶とばかりに宗谷岬へ。
19時24分、日没。一年で最も日が長いこの時期の夕日を最北の地で拝むことは叶わなかった。
復路のトップランナーは稚内から音威子府までの天北線代替バス。同じ区間で昨日は日本海を眺めたが、今日はオホーツク海を拝む。午前中の便でないと当日中に乗り通せなくなってしまった。
土曜日ということもあって、稚内を出る場面で10人弱の乗客がいた。私以外全員宗谷岬で降りた。
宗谷の集落を抜けると、次のバス停まで15kmもある無人地帯だ。快走路が丘陵をえいやと貫く。
木の生えない丘から手つかずの岸を流れる川。体の輪郭が明瞭になるこれぞ最果て。この辺りでは珍しくないが、わざわざこちらまで来ないと見ることができない風景だ。
こういう時、バスはいくらでも余所見ができるので都合がいい。ただし、いいところに駐車帯があったからといって停まれないのだが。
猿払村の鬼志別ターミナルで30分ほど停車する。時刻表の見掛けでは乗り換えのように見えるが、車両も乗務員も音威子府まで通し運行だ。猿払村猿払よりも鬼志別の方が栄えており、役場さえこちらにある。パン屋あり、駅前旅館あり、スーパーあり、村唯一のセイコーマートは海沿いの国道まで行かないとない。天北線があった頃は札幌に直通する急行が停まった。
バスのターミナルはかつての駅舎で、鉄道があった頃のグッズを並べてある。
芦野駅付近から猿払駅付近にかけて、線路跡を転用した道路を走る。これこそBRTだ。バスは一人だけの乗客を乗せて浜頓別まで進む。
道の駅が併設された浜頓別のターミナルは、昼時というのもあって賑わっていた。かつての線路敷上にあるが、浜頓別駅よりやや北にずれている。ここでも10分停まる。
宗谷バスのターミナルには出札窓口が併設されていて、どことなく汽車の駅っぽい。稚内で買えたように路線バスの乗車券も売っているし、都市間バスの予約や定期券の発行もやっているわけで、出札窓口としての機能は鉄道のそれと大差ない。
オホーツク海を離れて内陸へ進む。浜頓別で部活帰りの高校生2名と旅行客2名が乗った。沿線は人の数より牛の数の方が多そう。
中頓別ターミナルでも10分停まる。鬼志別と同様、かつての駅舎跡地であり、かつての鉄道用品を展示してある。らしい。野晒しの車両は錆が浮いている。廃止から30年以上経ち、1600人ほどの町民の半数にとって縁のない文化財で、ただでさえ機械は使わなければ朽ちるまま。
ここまでたどってきたバスのターミナルは天北線の急行「天北」の停車駅と同じところにあり、いわば町村の「代表駅」だ。
同じ中頓別町内ながら、中頓別と音威子府の間の急行停車駅として小頓別があった。天北線以前に廃止された級歌登町の町営軌道が分岐していた。
バスは駅の敷地に一度入り、その傍らの待合室が併設されたバス停に停まる。かつての急行停車駅で唯一の「無人駅」だ。今世紀に入って集落から学校が無くなり、店舗と呼べるものは郵便局が辛うじて存在している。
天北峠を越えて、昨日とほぼ同じ時間に音威子府に着く。お土産のそばと羊羹を買った。サロベツ4号に乗り込んで宗谷地方を後にした。
親戚の家で線香をあげ、札幌に一泊した。函館の用事は消えたので、時間を持て余す。白老のウポポイも興味はあるけど、今回のコンセプトからして新しくできたところを訪れる気にはならなかった。結局新函館北斗まで行く。
三度カーシェアを借りて函館市街へ。あえて赤松街道をのんびり走り、昭和から産業道路を湯の川へ。山の手を過ぎてかつて住んでいたあたりに近づくとずいぶんと寂れていた。コンビニすら減っている。
湯の川から電車通りを忠実に進む。空はこんなに広かったかしらん。電車と電停と軌道敷はだいぶ更新が進んだ。20年経っても終わらない牛歩の歩み。
大門から駅前にかけてのアーケードは撤去されて久しい。棒仁森屋も閉店してデパートは全滅。いよいよみすぼらしくなった趣が否めない。
弁天町から元町のバス通りと住吉漁港を経て谷地頭へ。観光客は歩いているけど、住民の気配が減っている。
美鈴で一服して、7月で閉店となる美原のイトーヨーカドー函館店へ足を運ぶ。思えば函館に引っ越してきて最初に足を運んだ店舗だ。函館では貴重なマクドナルドが道連れになる。
在住当時に達成した全店舗訪問後に開業した峠下のラッキーピエロで帰りの車中の食事を調達する。
新幹線車中の”匂いの発生源”としては大阪の蓬莱の肉まんが不動の地位を占めている。ラッキーピエロがこの地位を揺るがす程度に北海道新幹線が繁盛する未来を願って止まない。
さようなら北海道。8月にまた来ます。
→新型コロナウイルス感染症に罹患したため再来叶わず(2022年8月5日追記)
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