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週刊オールライター第19号 「3.11の記憶」

 こんにちは。HISASHINJOです。今日は3月11日。東日本大震災から12年を迎えます。12年前、私は小学2年生の8歳でした。8歳当時の私にとっても衝撃的な体験の連続。今でも忘れられません。電気がつかない。テレビやラジオで繰り返される地震や津波の情報。CMもほとんどがAC。初めて知った「171」の存在。打ち切られた給食。他にも様々な記憶があります。
今回は、現在ハタチの私が当時8歳の頃に思った気持ちを分析し、何が起きてどう思っていたのか考えます。

1. その日、全てが崩れた 地震発生当時〜帰宅まで

 2011年3月11日。その日の光景は今でも忘れません。私は当時日直でした。帰りの会を始めようとした次の瞬間、先生が遮り
「えっ?地震だ地震!」
とみんなを机の下に潜らせました。そして次の瞬間、これまで体験したことのない大きな揺れが襲いました。私の住む地域では震度5弱でした。激しく揺れる教室。何が起きているのか全く理解が追いつきませんでした。そして揺れが収まり、校庭へ避難するように指示が出され向かうのですが、その時の光景を今でも覚えています。後ろに並べてあった図工の作品が床に散乱。そして防火扉も閉まっていて、ただならない空気をこの時感じました。そして校庭に集められ、親の引き渡しが済むまで待機していました。その間にも余震が続きました。私は泣いていたのを覚えています。そして無事に母が到着し、引き渡されて帰りました。そこで目にしたもの、それは想像を絶するものでした。

2. ヘルメットを被ったアナウンサー 帰宅後

 無事に引き渡され、帰宅してテレビを見るとそこには、ヘルメットを被り、報道フロアで慌ただしくニュースを伝えるアナウンサーの姿が。私は愕然としました。その間に何度も流れるあの警告音。何が起きたのか全く信じられませんでした。今日本で何が起きたのか、理解不能。まだ当時は幼かったので何が起きているのか状況の飲み込みが遅かったので帰宅してから夕方までの間に記憶していることといえばこれだけです。

3. 祖父母宅へ行く あの夜の記憶

 そして私がずっと震えていることから、母は私を安心させるためなのか、近所に住む父方の祖父母宅で1泊すると言いだし、祖父母宅に向かいました。当時はまだ祖父母宅に叔母も従姉妹も住んでいたのですが、全員無事でした。そして流される地元局のニュースで、日本が大きな地震に襲われたことを冷静に理解することができました。そして母が携帯である番号に電話をかけました。電話がつながりにくい中で電話をかけたのは「171」。災害用伝言ダイヤルです。これで父に連絡をとりました。

4. 打ち切られた給食と鳴らない放送

 それからというものの、生活はあの日の一撃で壊されたことを知っていくのでした。福島第1原発で世界でも類を見ないほどの大事故が起き、原子力発電所が全て機能できなくなり、しばらく電気不足になったことで計画停電が続きました。ならない放送とチャイム。そして打ち切られた給食。何もかも驚きの連続でした。夜に計画停電が行われたこともあります。その間、懐中電灯をダイニングテーブルに置いて照らし、その中でおにぎりを食べた記憶があります。それは、人生の中でとても寂しい夜でした。

5. 切られたゲーム機の電源 そして「節電節水」という言葉を知った

令和福島沖地震の翌日、このようにパレオエクスプレスの撮影に行ってましたが、その晩はかなり緊張感に包まれていました。

 あの大地震が起きてから1年ほどの間に私はある言葉を知りました。「節電」「節水」です。これまでに何度も「電気のつけっぱなしはいけない」「水の出しっぱなしはいけない」と注意されてきましたが、この経験がより教訓になったように感じました。実際3.11後も、2014年夏の利根川取水制限、2022年3月の福島沖地震での電力逼迫と節電節水による緊迫した状況を何度も経験しましたが、全て日本人は乗り越えてきました。その根幹には3.11を経験した人たちが主導して協力したことにあると思っています。

6. ツナギ姿の枝野幸男官房長官と菅直人総理 8歳にして感じた「政界の異変」

 私がこの当時覚えていることの一つに、当時の菅直人内閣で内閣官房長官を務めていた枝野幸男氏がよく会見で訴えかけていた映像でした。当時の私には「政治家がつなぎ姿になっている」ことに違和感しかありませんでした。ですが、後になってそれは余程の緊急事態であるということがわかりました。菅直人元首相もつなぎ姿。相変わらず記者とバトルしていましたが、この時に察したことこそ「政府の要人がつなぎ姿にならないといけない危機的状況に日本は置かれている」ということです。8歳当時ながら、その「異変」はわかりました。

むすびにかえて

 今ここに、12年前の東日本大震災によって被災されたすべての皆様への哀悼の念を申し上げるとともに、まだまだ道半ばである復興に向けた道のりがさらに前に進むことをお祈りし、最後に私も毎週月曜日夜10時の呼びかけ活動に参加し、むすびとかえさせていただきます。

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