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第一章 はじまりの夜

2021年12月19日。

昼過ぎに仕事を終えた私は、いつもと違い足早に職場を後にした。時間に迫られ焦っていたというわけではなく、ただただこの後に起こりうる出来事を心待ちにしすぎるばかり、足早になってしまっていたのだ。約4か月ほどこの日のことを頭の片隅に置いてはひっぱり出し、またしまいを繰り返していたので、やっとその日が来たんだというワクワク感と興奮で、叫びたい気持ちでいっぱいだった。

仕事中も、手を動かしながら頭の中では「まず家に帰ったらすぐに昼ご飯を食べ、隙間時間に夕食の準備とお風呂をすませ、万全の状態で待機!」という完璧なシミュレーションを立てていた。

順調に家に帰ると、私は荷物を部屋に置き、手洗いをし、真っ先にテレビのスイッチを押した。

しばらくお昼の番組が流れていたが、ほどなくして画面が切り替わった。その瞬間、私に一気に緊張の糸が走った。


「M-1グランプリ2021」敗者復活戦。


私は用意したお昼ご飯を食べながら、テレビの前で正座をして、寒空の下、真剣に笑かそうと闘志むき出しの芸人さんたちと、真剣に向かい合った。

私がこんなにこの日を待ちわびていたのは、ここ最近応援させていただいている芸人さんが敗者復活戦に出場するからだ。

それはハライチだ。

好きになったきっかけはベタだが、お二人がやっているラジオ「ハライチのターン」を聞いてからである。

私は元々お笑いが好きで、芸人さんが好きで、何よりも毎年行われるM-1グランプリが大好きだったため、もちろんそのM-1グランプリの決勝に4回も出場しているハライチも好きだった。ただその時点ではまだ、ハライチの「ネタ」が好きなだけであり、特段応援などはしていないレベルだった。

しかし、ある日ふと「ハライチのターン」を聞いてみたところ、幼馴染コンビ特有の2人の掛け合い、ワードセンス、テクニック、人間性そのどれもに惹かれ、いつしか一番好きな芸人さんになり、毎週かかさず「ハライチのターン」を聞くようになっていた。

そんな二人が4年ほど欠場していたM-1グランプリに、今年は出場すると聞いた8月、胸がとても熱くなった。これはとんでもないことが起こったと興奮した。

これだけ実力も知名度もある二人が再びM-1の大舞台に立ち、漫才をするなんてことを想像しただけで、たまらない気持ちになった。

だがそんな私の気持ちとは裏腹に、ハライチは準決勝で敗退した。あんなに面白い二人でも勝ちあがれないほど、M-1の決勝に行くということは年々大変なことになっているのだ。


しかしながらまだチャンスはある。そのチャンスが、今まさに始まろうとしてる「敗者復活戦」である。

私は普段から、もうベテランの域に達するほど安定した掛け合いでラジオを繰り広げる2人が、今M-1という戦場で一体どんなネタをするのか、それがとても楽しみだった。


ふと最初にテレビに映ったハライチを見たとき、私はふっと笑ってしまった。M-1の敗者復活戦では冬の屋外ということでどの芸人さんも暖かいアウターを着て臨むのが恒例だが、その中で岩井さんは赤色のいかついスタジャンを着ていた。

今日も岩井さんは岩井さんだな~

そんなことを思いつつ、その真赤なスタジャンに岩井さんの熱い闘志が表れているような気がして勝手に胸が熱くなるのを感じた。


ハライチのネタ順が来たとき、私は無意識のうちに両手をからめ、お祈りをするポーズをしながらテレビを見ていた。今思うととても漫才を見る格好ではない。

ハライチが選んだ敗者復活戦のネタは、私がハライチのネタの中でも特に好きなスタイルのものだった。(後に、このときのネタは前日に岩井さんが考えた新ネタだということが分かるが、ざっくりとしたスタイルでいうと今までも似たようなものがいくつかある)

ネタ始まりはいつも通り始まったが、途中から岩井さんが一切しゃべらなくなる。その間、澤部さんがアタフタしながら(そのように魅せながらというべきか)数分間しゃべり続けるというネタスタイルだ。

私はこの形が好きだ。面白いのは大前提のこと、なんとなく二人の関係性が見え隠れするところがまたふっと笑ってしまう。

漫才中数分間無言を貫くということは勇気がないとできないことであり、尚且つしゃべり続ければならない相方への大きな信頼がないとできないことである。(それも人生をかけたM-1グランプリの敗者復活戦ということであれば尚更である)

これができる芸人さんはかなり少ないのではと思うのだ。

ハライチのネタを見終わったあと、私はふっと力が抜け、ネタをやった本人でもないのになぜかやり切ったようなすがすがしい気持ちになった。と同時に、「これは決勝進出あり得るのでは」という勝手な自信がわいてきた。それぐらい会場も笑いに包まれていたし、実際面白かった。


ハライチは16組中5組目だったので、その後にも多くの芸人さんがネタを披露していた。今年はとくにすでに売れている芸人さんが多くてどこが勝ち上がってもおかしくないようなメンバーが揃っていた。

しかしながら、ハライチのネタを見終わった私は喪失感のような達成感のようなよくわからない精神状態になり、その後の他の漫才を見ても顔では笑っているが頭には全然入っていなかった。

漫才好き、特にM-1好きの私が、M-1のネタをみて頭に入ってこないなんてことは今までなかったので、初めての体験だった。

そのとき改めて、ああ、私はこんなにもハライチという芸人に魅了されていたのかと知った。


全組ネタ見せが終わり、敗者復活戦は終わった。

結果発表はこの後にやる「M-1グランプリ決勝戦」でわかる。



私は緊張でずっと正座をしていた足をとき、決勝戦までの間に、昼間シミュレーションをしていた通りササッとお風呂に入った。

お風呂からでると別の番組がやっていた。私が中学生からずっと大好きな嵐の相葉ちゃんのレギュラー番組だ。日曜日の夕方6時という、夜ご飯を家族で囲んで食べながらワイワイ見る時間帯のグルメ番組。そんな全世代の人が見るような時間帯のテレビ番組で、さらには嵐という国民的アイドルの隣で、さっきまで漫才をしていたハライチの澤部さんはいつも通り楽しそうに出演していた。


あ。そうだ。この人はすでにこの地位にいる人。M-1で優勝して売れたいから出ているのではなく、純粋にM-1で優勝したい。勝ちたいんだ。漫才をしたいんだ。


私はその、日曜日の夕方にぴったりな温かいテレビ番組を見ながら、この後に繰り広げられる真逆の熱い漫才バトルを見守るべく、もう一度テレビに向かったのだった。




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