見出し画像

ノウチラス


 地上のレースカーテン。
紅茶を淹れる。どうってことない毎朝の習慣。淹れることだけが重要だ。一口飲んであとは捨てた。略したいことばかりだ。オガムドに影響を受けた。邪魔しないでくれ。
 それではやるぞ。俺はノートとペンを用意する。これもきまって毎朝のように。できなくなってしまったなら、できなくなってしまっても、とにかく足掻こう。ここは水中都市だから足掻かないと流されてはるか遠洋に。

 ノートに頭の中を流れる単語の渓流を書き留める。「うるさい液体、五月蝿い液体、煩い液体、ウルサイ、うるせえ、うーん、レースカーテン、地上のレースカーテン、sf、喘息……」一気にこう書きなぐる。今日は単語があんまり捕まえられない。似たような言葉ばかり。軽く頭痛がする。はて、俺はなにを求めているんだろう。

 とりあえず街に繰り出す。たぶん俺が求めているのは色気だ。あーー、言葉って面白いな。いろんな言葉を簡単に単語にするのって楽しくてしょうがない。街に色気なんてあるわけないじゃん。いいけど。とにかく着替えて靴下を履いて靴を履いて外に出た。ちゃんとカギもおサイフも持っている。その間も頭の中を単語が自由に駆けている、性病、バイパス、ノーチラス、脳散らす……。適当な本屋に入って藝術新潮を手に取る。俺は前衛も求めている。

 他人の文字にウンザリして本屋を出る。よく行く本屋なのになんという店名なのか知らない。たまに文庫を買うと紺色のブックカバーをつけてくれる。ブックカバーは紺色だと良い。他のどんな色のブックカバーよりも良い。ブックカバー然としている。本屋さんを曲がったとこの行き止まりにお茶やさんがある。こちらも店名が書いてないから、多分名前が無いんだと思う。今日もカチモリヘアの女の子が大きな釜でチャイを作っている。大きく開いた窓からその様子が見える。
「ねえ、前衛が必要だと思わないー?」
俺は角を曲がった時点で、遠くから彼女に叫びかける。
「知らないよーーーーーーー!」
彼女が大きな声で怒鳴り返す。元気で張りのある声だ。良く通る。俺は面白くてニコニコしながらゆったりお店に歩く。ようやく普通の声量で喋れる近さになる。「紅茶ひとつくーださい。」カウンターに300円置く。彼女は一瞥もせず、チャイの釜を離れてめんどくさそうに湯を沸かし、大雑把に俺の紅茶を淹れる。これも毎朝のことだ。まだ熱い紙のカップを受け取って窓の近くのベンチに腰かける。こうして目を合わせないまま俺たちは喋る。
「悪いか。」
「はい?」
「ワルイカ。」
ワルイカ、という発音が面白くなって何回かコロコロ声に出す。
「前衛が必要だと思わない?」
彼女は大きくため息をひとつつく。
「また適当なこと言ってんの?あんたって適当なことを言って、飄々としてるけど気が狂ってるだけじゃない。含みを持ってるように見せてんのがカッコいいと思ってるんでしょ?ハッキリ言ってダサいから!」
彼女が一息にそう言いきる。おおよそ図星なので俺はなにも言えない。
「そうやって毎日ヘラヘラ中身の無いこと言って、本当のこと言えなくなっちゃうよ。」
「じゃあ君は本当のことばかり言ってるって言うのか?」
「そうだけど。」本当にそうだと思って何も言えない。靴を眺める。音を聞く。風の音、車の音がやや遠くから聞こえる。陸街特有のタプタプという音。波が地上のコンクリートにぶつかっている音だ。うっすら聞こえる工場地帯の機械音。遠くの幹線道路を大きなトラックが通っているであろう音。俺は耳が良い。目は悪い。遠くの道路を数人が通る。出勤途中であろうOL、作業着を着た工場労働者、重そうな鞄を背負った男子高校生。再び足元を見る。石段の上をアリが歩いている。焦点が合わなくなっていく。考え事がはじまるときの視界だ。
「つっかえがあって、頭に……頭の中につっかえがあって、本当のことが言えない。」なぜからしくない台詞が口をついて出た。口角に力が入らないまま、目の焦点が合わないまま。
彼女は珍しくうろたえて感嘆詞を吐きながら(あ、とかええとか)黙ってしまった。お玉が釜にぶつかる高い音だけ気まずく鳴っている。ぬるい呑気な風が吹く。頭がぼうっとする。自分で発した言葉の意味を自分で考えようとする。うまくいかない。壁をうまく登れない小動物みたい。しばらく経って彼女が言った。
「なんだ、はじめて本当のこと言ったのね今。本当のことが言えないっていう本音。ビックリしちゃった。あんたっていつもヘラヘラヘラヘラしてるから。ごめんなさい。言い過ぎちゃった。」コンロの火を止めるカチッという音がして彼女が店外に出てくる。なんだか今日はいつもと少し違うことが起こり始めてるのかも。いつも強気な彼女は少ししゅんとしながら、小さな木製のトレイを持って俺の顔を覗き込む。全く怒っても傷ついてもいない。むしろ小さな非日常にワクワクしている。ただ目の焦点が合わなくて、頭がぼうっとする。戻ってこられない。街全体が瘴気に蝕まれてきているのだとしたら。街全体が瘴気に蝕まれてきているのだとしたら?口に出そうとして、億劫だったのでやめた。こんなことは初めてだ。
「本当にごめんなさい。お詫びだから、食べてね。」カチモリの彼女はトレイの上に紙皿に乗せたクッキーを持っている。俺がベンチの端にずれると彼女が隣に座る。全く怒ってないよと言ってありがたくクッキーをいただく。薄味で美味しい。そういえばチャイもクッキーも注文したことない。うーん。カチモリの彼女をじっと見つめる。彼女は何とか言って笑う。何て言ってるか分からない。見つめるのに没頭し始めているから。眼球を見つめる。何色なんだろう。おおよそ黒いみたい。うーん。この子のこと、急に襲ったらどうなるんだろう。身ぐるみ剥がして。動かないでほしい。見つめるのがぶれる。ああ、あんまりにじっと見つめているから怖がっているんだ。そうか。高い声で何か言っている。

 地上について研究してる。水死体を見たことがある。なんで水中に来たがったんだろう。地上は美しいのに。水中都市の上陸自死者はどうなんだろう。地上の人は同じように思っているんだろうか。ああ、水中は美しいのにどうして地上なんかに来たんだろうって。

 街全体が瘴気に包まれているんだとしたら?俺ばかりだと思っていた。熟考に疲れてしまった。感情や言葉を感覚のようにたどっているだけ。思考も感情も追求したくない。少なくともカチモリの彼女は違う。流されることなく二の足で地面をとらえている。地上人みたい。彼女が俺に言いたいのはヘラヘラ生きてんなよってことなんだろう。

 「私、一生こうやって街のお茶屋さんとして生きていくのかって思うと怖い。」
「盛況してるじゃないか。お昼間は。」
「そうだけど……。ツルミの街の人とか雑多な感じとか楽しいけれど……なんかずっとこうなんだよ?それも一生……。」
彼女が少し涙声になる。急な感情の発露になんて言えば良いか困る。
「小さな悲しいこととか楽しいことをに大げさに感動してるんじゃないかって思うの……。本当はどうでも良いのに演技でもしてるんじゃないかって……。本当はもっと別のこと考えてるんだと思う。言葉に表せない何かを……。」何て言えば良いか分からない。彼女を助けたい。
「意味の分からないことが起きてしまったらどう思う?クジラがやってきてツルミを破壊するとか。」
彼女は笑顔になる。高い声で抗議する。
「そうなったら私絶対文句言ったり泣き叫んだりすると思う!そこまで言ってない!って。」
彼女を笑顔にできたのが嬉しい。商店街の潰れたお店を指差す。
「あそこに急にタバコ屋ができるかも。」
彼女が下らないと言って嬉しそうに笑う。水中都市でタバコが吸えるわけがない。小学生の妄想のようにバカバカしい。
「急にこの街が空気に包まれるかも。」
「みんな死んじゃうじゃん!」
「俺がタコみたいに急にぱっくり口を開けてお前を食べちゃうかも。」
「キモい!無理!」
いい加減なSFで喜んでくれた。カワイイ。
 彼女のお店だけ朝早くからやっている。夕方くらいでしまってしまうから朝型のお店だ。出勤途中の会社員や近所のじーさんばーさんがチャイを買う。明るくて若い彼女はこの辺の商店街で結構人気だと思う。前方に見える通勤通学の人の流れがなくなってきたこの時間帯にようやく他のお店の開店準備が始まる。シャッターを開ける悲鳴みたいなキーキー音がほうぼうで鳴る。
「そろぼち行かなきゃ、クッキーどうもありがとう。おいしかった。」と言って立ち上がる。
「ずっと気になってたんだけど、朝遅い仕事なの?大学生?」
「んー、ルンペンだよ。」
いっぱい喋るのが面倒くさくてそう言う。
「ルンペンって何?」
「知らなくていいよ。」格好がつかないから、と心の中で付け足す。
「もしかしたら凄腕スナイパーのスパイかもよ。」
彼女のダルいーという子供みたいな声を背中に歩き出す。退屈しのぎくらいにはなれたのかな。いや、俺が鬱憤を晴らせただけなのかも。どうだろう。なにも真剣に考えられない、ゴメン。俺はそういう人だから。一抹の罪悪感を抱えながら賑やかになり始める時間帯のツルミを歩く。


この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?