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請負人を任された人

先日、今シーズンの夏のマーケットが閉じた。

今夏の移籍市場はコロナ禍にもかかわらず大変にぎわっていた。例えばフランスのパリサンジェルマン(PSG)は5人の世界的な選手の大型補強を行って市場をにぎわせた。特にメッシの移籍は世界中に衝撃を与えた。

そんな中、8月31日の移籍市場クローズ直前にクリスティアーノ・ロナウドが12年ぶりとなる古巣マンチェスター・ユナイテッドへの電撃復帰を果たした。彼は2003年から2009年までの6年間を同クラブで過ごし、2009年から2018年までレアルマドリーでプレーした後2018年から2021年までユベントスでキャリアを積んだ。

今でこそ、ロナウドと言えばレアルマドリー、ユベントスの印象が強い選手であるが、マンチェスターユナイテッドでの6年間がなければ今の彼は存在しえなかったといっても過言ではない。本題に入る前に彼のユナイテッド時代について少し話そう。

【マンチェスターでの6年間】

2003年当時18歳の頃母国ポルトガルの強豪クラブスポルティングリスボンに所属しており、プレシーズンマッチでマンチェスターユナイテッドと対戦した。試合中で観客はおろか選手までも魅了するパフォーマンスを見せた。そして監督を務めていたサーアレックス・ファーガソンは、ハーフタイム中に選手に勧められてロナウドを獲得した。背番号は歴代のレジェンドが背負ってきた栄光の7番をつけることになり、後にこの番号は彼の代名詞ともなった。

入団初期のロナウドは今よりも華奢な体格で、誰よりも我が強い選手であった。そのため、しばしばプレー面でチームメイトと揉めることがあった。特に彼のキャリアの中で最も印象深いエピソードは、2006年ドイツワールドカップ準決勝のイングランド対ポルトガル戦である。ポルトガル代表で出場していたロナウドは、当時同僚のウェインルーニーと不仲説がささやかれていた。そんな中ワールドカップの大一番で、ルーニーが退場処分となりその直後イングランド側ベンチに向かってウインクをする事件が起きた。これによってロナウドはイングランド国民から反感を買ってしまい、もうクラブには戻れないとまでされていた。

その一件以降、彼は選手としてまた人として大きく成長して、不仲が噂されていたルーニーとは和解し強力なタッグを組むまでになった。そして、2006年から2008年のプレミアリーグ連覇とUCL(欧州チャンピオンズリーグ)、FIFAクラブワールドカップ制覇に貢献し、2009年の夏惜しまれつつクラブを去った。その後新天地のレアルマドリーでは438試合450ゴールの偉業を成し遂げ、様々な記録を塗り替えていった。特にUCL前人未到の3連覇は記録に新しい。またクラブのみならず、ポルトガル代表でも記録を更新し続けた。

ここまで彼のキャリア初期について触れてきた。18歳で地元を離れ、世界へと旅立った少年は今やだれもが憧れるスーパースターへと成長した。圧倒的な得点力の他に最近では協力なリーダーシップを持ち、ある種のモチベーターの役割も果たしている。しかし、近年彼は上記の2つよりも「CL制覇の請負人」として見られてしまってはいないだろうか。次ではこれについて触れるとともに、「請負人」が抱える責任と苦悩について話そう。

【優勝請負人】

2018年9年間過ごしたロナウドはイタリアの強豪ユベントスに当時リーグ歴代最高額の140億円で移籍をした。初年度から21ゴール、リーグ制覇とチームに貢献していた。

彼が在籍したユベントスは強豪クラブであるものの、それは国内のみの話であり、欧州の舞台ではなかなか思うように戦えていないのが現状である。UCLも決勝まで勝ち進んだものの、敗戦を喫し欧州の頂には届かなかった。そのため、同クラブは「CLを知る男」としてロナウドを獲得したのだった。しかし、加入した2018‐19シーズンはベスト8敗退2019‐20、2020‐21シーズンはベスト16で敗退とビッグイヤーには程遠かった。そして、浮かび上がってきた疑問としては「ロナウドは本当にCLを知っているのか?」というものであった。それではマドリー時代の3連覇はロナウドがいたから可能であったのか考察しよう。

2015‐16、2016‐17、2017‐18大会でレアルマドリーはジダン政権の下で前人未到のUCL3連覇を果たした。しかし、これらの記録は全てロナウドのみの功績とは言い難い。正直なところ3連覇を果たしたどのシーズンにもチームとしての欠陥点はあった。例えば、守備面で言うと左サイドバックを務めていたマルセロは攻撃時に相手陣内まで切り込み、アシストないし自らシュートを打つことがあった。しかし、相手カウンター時になると戻り切れずセンターバックのセルヒオ・ラモスが自分のポジションに加えて二人分のスペースをカバーする必要があった。そのため後手に回り失点をするケースが多くあった。また攻撃面では、周りの選手がロナウドを気遣うあまり、決定打の場面でも精彩を欠くシーンが多く見受けられた。

この様に様々な欠点を抱えつつも、偉業を成し遂げられた決定的な要因としては「チームの一体感」であると考える。そう考えてみれば、いずれのシーズンもチームとしてまとまった攻守を見せ、笛が鳴る最後の瞬間まで手を抜くことはなかった。また、もう一つ考えうる要因としては「後方のキャプテンシー」であった。当時はセルヒオラモスがチームキャプテンを務めていて、後方からチームを引っ張っていた。彼の統率力には目を見張るものがあり、常時チームを鼓舞し続けていた。

大変身も蓋もない解答のように思えるが、畢竟これがすべてといっても過言ではない。それ故、ロナウドはユベントスにおいてこの役割をすべて請け負っていたと考えると、チーム内で果たすべき役割が集中しすぎていてうまく共有しきれていなかった。だからこそ、一つのミスを犯すことで「あいつは終わった」「お前がミスをしなければ」など批判の的になり、そのすべてを彼一人が受ける形になってしまったのではないだろうか。

【最後に】

請負人として呼ばれたはずのロナウドが、数年にして落ちぶれ者のように扱われてしまうのは責任を負わされすぎたが故のものであろう。加齢によるパフォーマンスの低下は否定できないが、彼の中に宿る情熱はリスボンからマンチェスターへ飛び立った18歳のままであろう。そして、12年の長旅で成長した少年はレジェンドとなって愛する街のクラブに戻ってきた。そんな彼が今シーズンどのようにチームに浸透するのか、また当時のように私たちを湧かせてくれるのか大変楽しみである。

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