日本共産党の党首選挙は党の存在意義に関わるから難しそう

日本共産党で、党首選挙を求める声が出てきました。

しかし、当然というか何と言うか、共産党がそんなことを認めるわけもなく、これからも党首は変わらないでしょう。

これは「日本」共産党が頑迷だからではなくて、「共産党」「共産主義」に固有の問題であり、日本だけの話ではありません。

19世紀のマルクス、エンゲルスに始まり、20世紀にレーニンが政権奪取に成功した共産主義思想、共産党という存在は、国民全体に信を問うような仕組みを採用していません。

「共産主義」を正確に理解する労働者階級が、無知蒙昧な国民全体を共産主義によって支配し、「科学的」に国家を運営するためのものです。

国民全体に選ばせると、王制や資本主義体制を間違って選んでしまうのだから、我々が共産主義に基づいた「正しい」方法で国家を導いていくしかない、というのが共産党の考え方です。これはどこの国でも同じです。

だからこそ、レーニン以降のソ連ではトップに反対する者は、反逆者・ブルジョワジー・資本主義の犬と呼ばれて粛清され、毛沢東以降の中国でも文化大革命を持ち出すまでもなく、処罰あるいは処刑されてきたのです。

日本共産党が袂を分かった安保闘争時の過激派諸団体でも、自己批判と総括の名の下に、多くのリンチが実行され、悲惨な結果をもたらしました。

共産党というシステムは、先天的に党首(幹部)独裁でないといけないのです。下からの自由な批判を容認することは許されません。それはどこの共産主義国家でも同じでした。

ここで、権力の正当性について考えてみましょう。

与党が権力を持つことの正当性は、民主主義国家では憲法に基づく選挙で多数の支持(投票)を得たことにあります。議会や投票の仕組みに差はあれど、選挙で勝った政党に政権の正当性が生まれます。

しかし、共産主義国家ではそうではなくて、共産主義国家においては共産党の権力の源泉は、共産主義と共産党が絶対的に正しいことにあります。

そもそもどこの共産党政権も暴力革命を経て旧政権を打倒してきているのであり、その権力の正当性は「共産党が正しい」ことに尽きます。旧政権時代の議会選挙で多数派となって政権を奪取したわけではありません。

共産党は無条件に正しいから存在していて、だからこそ党のトップに逆らうことは許されないのです。

今回の日本共産党内における、党首選挙を求める動きがどれくらい大きくなるのか分かりませんが、多分すぐに潰されるんじゃないですかね。潰されるというよりは、無視されるといった方が適しているでしょうか。志位委員長が20年以上トップであることに不満を覚える人はそれなりにいるでしょうけれど、共産党の根幹に関わる党首選挙に賛同する人は少ないでしょう。現状の体制に満足している人は、なおさら支持する訳がありません。

もしかしたら党首選挙を求める声が大きくなり、手に負えなくなって実現するかも知れませんが、その時はもはや「共産党」を名乗ることも出来なくなるでしょう。共産党の看板でなくても良いと考える人も同じくらいいるはずでしょうから。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?