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ガラパゴス化と独創性と世界戦略と島国日本

ガラパゴスという言葉がある意味、マイナスなニュアンスで使われるようになったのはここ10年ほどでしょうか。ほとんどの場合、ガラパゴスケータイ略してガラケーを指すときに使われています。

本家というか実際のガラパゴスに住んでいる人達からすれば溜まったもんじゃないでしょうけれど、ガラパゴスが世界的に注目されたのは独自の進化を遂げた動植物の発見からです。

その独自性を、スマートフォンの方向ではなくiモードなどの独自進化を遂げた携帯電話に応用したのが
「ガラパゴスケータイ」
という使用法でしたが、使われた時点でスマートフォンと比べて世界の進化から取り残されている、という揶揄が込められていました。

本来はスマートフォンと比べられるのはフィーチャーフォンを言われていて、アプリのインストールなどが出来ず、通話とショートメッセージしか使えない携帯電話のことでした。

iモードのようにアプリをインストール出来た携帯は、そういう意味ではスマートフォンと呼ばれてもおかしくなかったのですが、大画面化・操作性・拡張性などで進化のスピードが遅くなっていた「ガラケー」は、スマートフォン優勢の時代になるにつれて人気がなくなっていきました。

ガラパゴスケータイの場合は、日本国内での進化が速すぎ、かつ世界展開に失敗したことがガラパゴス化の原因でした。そしてスマホ台頭の波にメーカーが乗りきれないままとなってしまいました。

家電メーカーが苦戦したのはスマホだけではなくて家電・IT分野の大半ですので、ガラケーのために苦しんだわけでもないですが、インターネットなりスマートフォンなり負けている分野の負けている要因を、日本の国土、島国論とか精神論あたりに帰結させてしまいがちです。

日本にはGAFAがないことについても、独創性の欠如を日本の欠点に上げてしまいそうですが、そもそもiモードの点からいっても独創性が全く無いわけでもないでしょう。世界展開戦略の欠如と言った方が正確かも知れません。Facebookの前のmixi、Amazonとほぼ同時期に始まった楽天市場、スティーブジョブズに大きな影響を与えたSONYといった例を考えると、本当に独創性がないのでしょうか?

世界戦略の欠如の方こそ島国であることが一因かも知れません。大陸国家のように常に外国を意識する社会、生活ではありません。江戸時代の長期間の鎖国も影響があるのかも知れません。

例え0を1にするような独創性があまり無かったとしても、1を10や100にする能力があればそれはそれで良いのだと思います。

入って来た物を工夫するのが上手い、という日本の風土は、島国としてはある意味当然のことだと思います。

その一方で、入って来た新しいものに対していわゆる「魔改造」を施し、独自の進化を遂げさせるのはまさにガラパゴス化です。こういった独自進化を「独創性」とはあまり呼びません。独特なものであることは「良い意味」で「ガラパゴス化」しているとも言えるはずです。

戦略の欠如が問題なのか、ガラパゴス化が問題なのか。

この辺を読み間違えると、失敗を繰り返しかねないと懸念してしまいます。

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