見出し画像

新聞は不要とされてはいけないという考えは正しいのか?

 数日前ですが、以下の記事をウェブで見かけました。

新聞部数が一年で222万部減…ついに「本当の危機」がやってきた 新聞は不要、でいいんですか?
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/59530

 言いたいことは分からなくはないけど、あくまで新聞・メディア側のみの意見や要望であって、現実社会の消費者側の考えを汲み取ろうとする意思が全く感じられなくて、新聞が衰退していくのは当然なんだろうな、という感想を持ちました。

 確かに若い世代は新聞を購読していません。これまでのどの時代よりも購読割合が少ないのは事実でしょう。ただ、それは今の若い人達が新聞の重要性に気付かない愚か者というわけではなくて、ただ単にこれまでの時代では代替手段が無かったから仕方なく購読していた層がいただけの話しだと思います。

 だいたい、人口減少し始めた少子高齢社会で新聞購読数が減るということは若者以外の世代も新聞を読まなくなってきた証でもあります。この高齢化社会の中、若い世代が読まないのなら老年者向けに一気に方向転換しても良い気がします。例えば、文字をかなり大きくするとか、持ちやすい大きさにするとか、まだまだ改良点はあるはずです。そもそも、現行の新聞のフォーマット自体がもう何十年間も変わっていないというのも不思議な話です。かつては満員電車の中でも苦労して新聞を折りたたんで読んでいる人が結構いましたが、今ではかなりのレアケースでしょう。電車の中であれば確実にスマホで読む方が楽です。

 そのスマホ・タブレット向けに新聞社がサブスクリプションで配信している新聞も、紙媒体のものをそのまま配信して、スマホ上で読む場合はピンチインとピンチアウトを繰り返さないといけないという不便さを読者に強要するスタイルで出しているのですから、新聞社がいかに電子版を軽視しているのかが分かります。

 その一方で、ポータルサイトのニュースページやキュレーションメディアアプリでならスマホに適したスタイルで、タップと上下スクロールだけで簡単に読めます。有料で読んでいる人が不便を感じて、無料で読んでいる人が快適に読めるのだからこんな理不尽なことはないでしょう。

 その上、ウェブ上で様々なニュースソースをチェックできるようになり、法人も個人もブログやSNSで主体的にプレスリリースを出せるようになったのですから、新聞や既存メディアの内容そのものも問われる時代になっています。それなのに、上記記事内では、かつて広告を増やすためにページを増やした、と堂々と金のために水増ししたようなことを書いているわけですから、新聞の中の人は消費者側の冷めた目線にまだ気付いていないんだろうな、と思います。

 ラジオ・テレビの登場により即時性を失いましたが、日本では新聞社とテレビ局・ラジオ局が同一資本関係にある場合が多く、テレビで速報、新聞で考察という棲み分けをすることが出来たために、諸外国に比べると新聞の危機が遅れてやってきただけとも言えます。

 本当に新聞はやれることは全部やったのでしょうか。改革すべきところを全て改革したのでしょうか。そこまでやって、それでも消費者が不要だと思ったならそれは諦めるしかありません。完全に既存タイプの新聞がゼロにはならないでしょう。どこかで釣り合いが取れる部数と料金になるでしょう。それを割り切って受け入れられないなら新聞は消えるしかないメディアだと思います。

 上記記事中には押し紙の問題も少しだけ書かれていましたが、あれは新聞社と販売店の間の問題ですし、新聞危機の根本的な問題では無いと思います。タブーと言えばタブーなんでしょうが、本当のタブーは再販制度ですよね。

 再販制度にも手をつけないと新聞の改革は進まないと思います。音楽ソフトはデジタル配信、次いでストリーミング配信の普及によっていずれ瓦解するでしょうし、書籍の再販制度も電子書籍に適用されないことで半分骨抜きになっています。新聞の再販制度も新聞を保護しながらそのまま朽ち果てていくのではないでしょうか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?