現役時代のマラドーナについてのテレビで観た少ない記憶とその後

サッカーファンとしてはマラドーナ死去に触れないわけもいかないのですが、そうはいってもマラドーナ全盛期にはまだサッカーファンではなかったので、アレがすごかったと語ることも真剣味がありません。すごかった頃の映像は全て後で見たものです。

個人的に覚えているのは、93年にワールドカップ南米予選で苦戦してプレーオフまでもつれ込んだアルゼンチン代表がマラドーナを代表復帰させて乗り切って本大会出場を決めたことと、その本大会である94年ワールドカップアメリカ大会の初戦でゴールを決めてやはりすごいと思わせた直後にドーピングで引っかかって大会から追放されたことです。

故人となってしまったマラドーナの歴史を見ると、悪い意味で無邪気で素直な性格だったのかと思います。類い希という言葉がチンケで陳腐に思えるほどのサッカーの才能と、それに見合う収入と栄光がありながらも、それ目当てに寄ってくる人もたくさんいたのだろうなと想像します。

もちろん充実した人生か無念の終わりを迎えたのかは赤の他人には分からないことですが、自分の気持ちに忠実な言動を取ったことで、いろいろと問題も起きてしまいました。

無邪気とか素直ということは、聖人君子であることと同義ではありません。むしろ逆の方が多いでしょう。聖人君子になるには自分の欲望を厳しく律してこそなれるものです。悪気無く問題を起こしてしまうタイプの人だったのでしょう。

しかし史上最高のサッカー選手という栄誉がある以上、それ以外に何も要らなかったのかも知れません。

99年か2000年に、当時のサッカーダイジェストとサッカーマガジンがどちらも20世紀のサッカーを総括する特集号を出しましたが、どちらも表紙はマラドーナのアップでした。その頃のサッカー雑誌の編集者は皆、80年代のマラドーナに憧れた人ばっかりだったのかも知れません。しかし、並び称されるペレが引退後はビジネスの世界に進みサッカーの現場から離れた一方で、マラドーナは引退後もクラブや代表の監督を歴任しました。サッカーを愛してサッカーに愛されて、サッカーファンからも愛されてアルゼンチン国民からも愛されたのはマラドーナの方だったでしょうか。

マラドーナの選手晩年から引退後の様々なトラブルを見ていると、同時期に活躍していたプラティニが引退後、UEFA会長まで上り詰めたのと対照的でした。しかしそのプラティニも汚職疑惑で拘束されたりしているのをみると、プラティニも上手くやっているようでそうではなく、結局サッカーをひたすら楽しんでいたのはマラドーナだったのかも知れません。

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