見出し画像

「AI」は人知を超える「神」に並ぶ存在になり得るのか

今の日本では、「神〜〜」という使い方で程度が激しい様の最上級的な用法の言葉が使われます。普通の人では考えられないような偉業を達成したとか、あるいは単に嬉しいとき、すさまじい様子を見たときに、結構な頻度で使われる言葉になりました。

多神教というか無宗教というか、日本ならではのような気がしますが、もしかしたら他の国や文化でもあるのかも知れません。ただ、少なくとも一神教の地域では使われていないでしょう。

神ではない人や物を「神〜〜」と例えるのは、一神教ならずとも不敬であると言われるとそうとしか言いようがありません。

科学的にというか、宗教的な解釈を取り除けば、「神」という存在は人々が想像を絶する現象に遭遇したときに、その現象を生み出した存在として意識するものです。理解出来ない「何か」を神として崇め奉ることで心の平穏を得ることが出来ます。

だからこそ、人が人を評するときに、人ならぬ存在に思えてしまうほど凄いことを「神業(かみわざ)」という言葉を使います。

人知を超える何者かを「神」と称するのだ、とまで断言してしますと、これこそ宗教的不敬に当たるでしょうけれど、現代社会では人知を超える存在は、神以外にも存在していて、シンギュラリティを迎えた時には、コンピュータ・人工知能・ロボットを綜合した存在は、信心が深くない人にとっては「神」に変わって「人知を超える何か」のポジションに位置することになります。

そういう時代を迎えたときには、最上級的な用法としての「神〜〜」の代わりに、「AI〜〜」と言うことになるでしょうか?

AIやロボットを信仰する宗教団体が出来てしまうと、「AI〜〜」もまた不敬な表現になってしまうでしょうか?

空飛ぶスパゲッティモンスター教のような存在であれば平和でしょうけれど、AI企業やらコンピュータメーカーやらCPUメーカーごとに宗派が分かれて罵り合うような事態になると面倒ですね。今の某巨大掲示板やTwitterなどと大差ない気もしますが。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?