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良いものを作れば売れるという傲慢な誤解もしくは打つ手無しの状況

新聞の部数が毎年順調に急激な減少をし続けていて、このペースだと15年で紙の新聞が消滅するそうです。どこかでそのペースが緩むのか、あるいはさらに急な下り坂になるのか。どちらにしても消滅の数年前の段階で、商売として成り立たなくなるはずです。

しかし、この期に及んでもなお、
「良い新聞を作れば売れる」
「紙の新聞はいつの時代でも重要」
「ネットの情報は信用できない」
とか言っている人が新聞業界にいるとしたら、おそらく消滅する時期は予想よりも早くなるでしょう。モノが売れる売れないというのは、そのモノ自体の品質には大きく左右されないということを、この30年での日本の製造業を取材してきたマスコミ業界の人が知っているはずなのに、自分たちにはその法則が適用されないと思い込んでいるのですから。

AppleのiPhoneがスマホとして大成功を収めたとき、マスメディアは、iPhoneで使われている技術はどれも特別な唯一の物ではなく、技術的には日本メーカーでも作れたはずだが・・・みたいな論評をしていたはずですが、まさにマスメディア自体がかつての日本メーカーと同じ道をたどっていることに、目と耳を塞いでいる現状は残念と言うよりも哀れにも思えます。

消費者のニーズを誤解し、提供する製品の在り方について変えることなく、従来のままでも良いものを作れば消費者が勝手に買ってくれると言うのは、誤解と言うよりも傲慢と言うべきでしょう。

消費者が日本メーカーが出す高品質高価格の商品を必ずしも求めない、ということに製造側が気が付くまで時間が掛かりました。おそらくメディアにおいても、旧来のマスコミ側が、消費者が求める情報の質と量とコストについて、本当の意味で気が付くのにはそれなりに時間が掛かるのでしょう。その時間が、冒頭に挙げた新聞の消滅ペースとの競争に勝てるのかどうかは分かりません。多分勝てないんじゃないかな。

一応、ここでは紙の新聞の中身が質が高くて信用できるかどうか、ということには触れません。そこも結構重要な問題だとは思いますが、売れる売れないということそのものには直接的には関係していないでしょう。

質が高くて信用できる情報があれば新聞は生きていけるのであれば、そもそもこんな苦境に立つはずがないのですが、そこを無視しているのはむしろあえてそうしているのかも知れません。

言い方を変えると、その「質が高くて信用できる情報を提供する」こと以外に、今のマスコミに出来ることが存在しないのでしょうか? 実際に質が高くて信用できるかどうかはともかく、他に打つ手が全く無くて手詰まりなためにそう言っている可能性もあります。

そうだとしたら、紙の新聞が消えるまで15年も無いでしょうね。

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