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マスクを拒否する論理は、自転車無灯火と似ている。

日本でも外国でも、ソーシャルディスタンスの有る無しにかかわらずマスク着用を拒否する人はいます。

少し前には、日本でも飛行機中でのマスク着用を徹底拒否して乗務員と揉めて、途中で緊急着陸して降ろされた人がいましたね。

マスク着用を拒否する人の中には、ただ単に自分がマスクが嫌いだから、という主張をする人もいますが、マスクには科学的根拠がない、という意見を言う人もいます。

多分そういう人って、科学的根拠を絶対的に一つしか無いものと思っているのではないでしょうかね。

新型コロナウイルスの研究は1月くらいから世界各地で始まりましたが、それ以降、次々と研究成果が発表されていますし、それらの成果同士がぶつかり合うようなこともあります。

例えば、コロナウイルスは接触感染と飛沫感染で広がっていきますが、限定条件の下では空気感染するという研究結果も出ています。

麻疹のような空気感染するのであれば、確かにマスクをしても無駄かも知れませんが、そもそもコロナウイルス対策としてのマスクは、自分が感染している場合に他人に感染させないためのものです。

そして、この新型コロナウイルスでは、無症状の感染者や、発症前の感染者がウイルスを拡散させることも明らかになってきました。

結局、症状が出ている人も出ていない人も、充分な換気が出来ない状況や他人との距離を確保できない場面では、みんなマスクを付けるしかないはずです。

マスクを付けることで、その人から出る飛沫は大幅に減り、拡散距離も確実に縮まります。

どの科学者も研究所も、マスクを付ければ万事OKなんて言っている人はいません。あくまで少しマシになる程度です。それでも少しでも感染を広げる確率が減らせるのならマスクを付けるべきですから、各所で着用を呼びかけているわけです。

もちろんこれらの措置にしても、今後のさらに進んだ研究によって変わってくるかも知れません。絶対的に揺るぎない科学などは存在しません。常に進歩して進化して、前の成果を参考にしながら塗り替えていくものです。

自分が信じている何か一つの科学的根拠を元に、他人への感染の可能性を顧みないというのはやはり身勝手と言わざるを得ません。

自分のためではなく他人のために不愉快な、面倒な思いをしたくない、というのは、夜の自転車の無灯火走行にも似ているかも知れません。

走っている自分が無灯火でも周りは見えるという自身があっても、周りからはその自転車は見えません。だからこそ無灯火が交通違反として取り締まりの対象になるわけですが、多分そういう人は無灯火のために気付かれずに車にはねられるまでは危険性を認識できないのではないでしょうか。

それと同じように、マスクをかたくなに拒否する人も感染して重篤化するまで納得出来ないかも知れません。苦しめば良いとまでは思いませんが、他人のためにマスクをするということの重要性が理解出来ないのは残念なことです。

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