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君主制における藩屏的存在が無くなると……。

江戸時代における徳川御三家では、一般的に知名度が最も高いのは水戸徳川家でしょう。水戸黄門の時代劇の影響が一番大きいでしょうけれど、幕末の動乱期における水戸斉昭やそれ以前から続く水戸学派の系譜などが貢献しているはずです。

残る御三家の紀伊と尾張の存在感は後世の人にとってはそれほどではありませんが、当時としては当然ながら幕府・将軍家にとっては重要な藩屏でした。親藩や有力な譜代大名ももちろん、幕府を守る為に存在していましたが、近世以前・中世までの「国王=King」という最高権力者には古今東西どこでも守る為の藩屏的存在がありました。

貴族とか大名とか、時代や地域によっての呼び名は異なりますが、密接につながり時には反乱もあり、それでも互助的に必要とする関係性でした。

近代になり、君主制が憲法に基づく政治制度に組み込まれてからも、藩屏的存在は必要でした。ヨーロッパの国王で言えば貴族がそれに当たり、李氏朝鮮では両班、清帝国では八旗、日本の明治時代で言えば華族が該当します。

そのような存在は、急進的・過激な変革を求める反体制派から国王・皇帝・天皇を守る役割を持ちます。ただ、単に守るだけではなく取って代わりはしないまでも批判的な立場を取ることで、君主の無茶から民衆を守る場合もありました。

将軍に近い立場ながら幕府批判も行う水戸藩や、フランス革命時に暴動を起こした民衆をかくまったオルレアン公のような存在は、稀ではありましたがいなかったわけではありません。

王の周りにいる貴族は、王の味方でもありますが、敵とは言わないまでも批判的立場・進言する役目を持っていました。また婚姻を通じて血縁関係を王室・貴族内で完結させることで王の正統性を永続化させる役割もありました。

絶対君主化すると貴族がお飾り化して無能になるわけですが、その先に待っているのは君主の絶対化の否定です。フランス革命ではギロチンによって否定され、太平洋戦争では天皇の人間宣言によって否定されました。

今のイギリス王室でも貴族は存在していますが、大半は最近爵位を受けた新興貴族だそうで、近代の立憲化する前からの国王を支える貴族なんてほぼいません。日本で言えば家族制度は無くなって久しく、また宮家も増えず存続も厳しい状況です。

日英の君主制が現在でも続きつつも、婚姻にまつわる問題を抱えるのは婚姻相手が周囲の貴族(華族)からではなく民間から、個人同士の関係性で決まるようになったことと無縁ではないでしょう。

藩屏たる貴族にしてみれば、君主を守ることで自らの存在も守られます。君主制を脅かすようなことはするわけがないのですが、もし拗れたとしても妥協点が見つかります。しかし個人間での婚姻による関係性ですと、間に入る存在もいませんし、拗れた側にしてみたら君主制を守る義務も理屈もありません。

現代化した君主制の全てで民間人との婚姻が問題になるわけではありませんし、昔は問題が起きなかったわけでもありません。日本でも戦前に宮中某重大事件のような政界まで巻き込んだ騒動もありました。それでも、問題になったときの落としどころを見つけづらい点は、君主制における藩屏的存在が無いところにも原因があるでしょうし、無為徒食の貴族など養っていられない現代民主主義国家では、君主制の在り方は今の状態が長くは続かないでしょう。

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