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間違える権利、間違えてはいけない義務

アメリカ・カナダで19世紀から20世紀にかけて、北米大陸の先住民を収容していた寄宿学校で大量の人骨が見つかった事件から、当時の寄宿学校を含めた先住民虐待の実態解明の動きが社会問題化しています。

ヨーロッパからの移民が増えて西へ西へと居住地域を広げていくために、先住民との激しい戦いがあったことは知られていますが、完全に白人優位の体制が確立した後に寄宿学校を通じて、西洋文明・文化への同化政策が行われ、それが今の基準から見ればかなり人権を無視した形で行われていました。

まあ西洋文明は唯一無二の正解だという白人の傲慢さと残虐性が結集したような話なのですが、過去の歴史に向き合い謝罪と贖罪をどのように行うかは難しい問題です。

そのことだけを見ればアメリカ・カナダだけの話になるのですが、かつてそこで行われていた非人道的な暴虐行為に関しては、多分、今は中国の一部自治区で行われていることと同じなのでしょう。

そういう論理を繰り出せば、ウイグル・チベットで行っている同化政策もダメだという理屈になりますし、逆に中国政府からしたら欧米各国に対して、
「お前らも昔やってたことだろ」
と言い返す材料になります。

今回の寄宿学校の件で中国側が騒ぐかなと思っていたら、あげつらっているような報道は見かけられません。私が見つけていないだけかも知れませんが、そもそもそれらが同じだと言ってしまったら自分たちの新疆での行いを虐待と告白するようなものですから言えないですよね。

先住民・異民族に対する弾圧は、先進国化した国々では多かれ少なかれどこにでもあります。既に先進国化した国は過去のこととして流され、今から先進国になろうとする国の虐待は厳しく非難される、というのは人道的には正しいでしょうけれど国家間だけに限れば不公平な話です。もちろん虐待を認めるつもりは一切ありませんが。

環境破壊も同じことです。化石燃料だの有害金属だのを大量に使用して先進国化した国々が、後から経済発展しようとする国々の環境破壊を防ごうとしています。環境保護の観点では間違いなくそれは正しいのですが、邪魔される国に取ってみればやっぱり、
「お前らも昔やってたことだろ」
と言いたくなるでしょう。

過去の間違いを直視して反省して現代に生かすというのは、過去に間違える権利を持っていた国にのみ許されることです。間違えてはいけないという義務は現代の国々に強制されますが、間違える権利を行使した国の道義的責任が果たされているかというと、評価は分かれるでしょう。

そして重要なことは、西洋の理屈ではいつも自分たちが同時代的には正しいと信じ切っていることです。19世紀には西洋の言語・宗教・経済が正しいのでこれを受け入れなさいと西洋以外に押し付け、21世紀には他者に強制する同化政策は間違っているという理屈を受け入れなさいと西洋以外に押し付けています。

自国での反対勢力の弾圧に関して、習近平やプーチンが西洋の理屈を押し付けるなとよく反発していますが、基準をどこに置くかだけの違いです。民衆に強権政治を押し付ける権利を認めるか、強権政治を排除する権利を認めるか。

今の日本に住む日本人としては、弾圧も強権政治も認めたくはありません。

西洋が、いつの時代でも自分が正しいという論理を自己否定以外の形で克服しない限りは、西洋の衰退という思潮はまだまだ続くでしょうね。

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