挙措進退で国家を批判する人、暴力で何とかしようとする人

ミャンマーでは選挙結果に不満の国軍がクーデターを起こしました。アメリカでは選挙結果に不満のトランプ支持層が議会に乱入しました。ベラルーシでは選挙結果に不満の反独裁者派が抗議行動を起こしました。どこの国でも選挙に負けたら不満を持つのは当然ですが、それに対して起こす行動は様々です。

負けた側が不正があったと叫ぶのは良くある話ですが、実力行使をするとさらに事態が悪化します。独裁が行き着くところまで行くと、欧米の価値観では民衆が立ち上がって革命を起こすだろうと考えるのでしょうけれど、世界を見ればむしろそれが少数派なのだと思い知らされます。

ロシアのプーチン大統領も中国の習近平国家主席も、自分の権力から任期を取っ払って死ぬまで最高権力者であり続けるつもりのようですが、そもそも独裁者の終身制というのはむしろ当たり前のことで、独裁者が権力を平和裡に後継に委譲する方が珍しい話です。たいていは死ぬまで権力を保持するか、政変・クーデター・革命・他国からの侵攻によって権力を覆されます。

権力を失ったときに、
「私は法的に死ぬまで最高権力者だ」
と主張したって、法的根拠の元となる権力自体が存在しなくなっているのですから、あっさり無視されて良くて幽閉、悪くて処刑でしょう。

独裁者ではなかったとしても、選挙に不正が無かったとしても、国家と個人の関わり合いは難しいものです。

現実世界にはヒーローもスーパーマンも存在しません。楽園もパラダイスも桃源郷もユートピアも存在しません。打ち出の小槌も賢者の石もミダス王の手も存在しません。人が出来ることは限られています。

国家が誤った道を進んでいるときに、反対の声を上げるのは当然のことですが、どこまで関わるかというのは人それぞれでしょう。厳しく戦い過ぎれば命を奪われます。命惜しさに退くというのは言い方が悪いですが、古い国家を壊した後の新しい国家で必要な人もいます。

古代中国春秋時代の衛の国の大夫だった蘧伯玉は、孔子と同時代の人でしたがその在り方、挙措進退を孔子は何度も絶賛しました。

その頃の衛の国は、君主やその家族、近臣などの権力抗争によって乱れており、大夫としての国家・君主への仕え方が難しい時代でしたが、蘧伯玉の生き方を孔子は、

「蘧伯玉という人はなんと優れた君子だろう。国家に道ある時は進んで仕え、国家に道無き時はすぐに退きその才能を懐に巻いて収めた」

と称えました。優れた君子、賢臣がいることでその国が信用されることもあり、逆にその君子を生かせないとその国が信頼されないということもあった時代です。生き方によって衛という国の本来の在り方を示し続けた蘧伯玉を称えたのですが、人によっては、政治に関わる立場なら積極的に国家を正しくするように行動するべきだとも思えるでしょう。

ただ、蘧伯玉を称賛する孔子自身が、そもそも儒学に基づく改革をさせてくれる国を求めて、弟子達と共に放浪し続けた人です。蘧伯玉は何もしなかった怠惰な保身主義者ではなく、国家から退くことが国家に対する最大の批判者であったのです。

正道を進んでいない国家に対してどうあるべきかは難しいものです。少なくとも、議会に乱入したり軍隊でデモ隊に乱射する人は蘧伯玉とは真逆なんでしょうね。

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