法三章とあおり運転
秦の始皇帝は、法による人民支配を進めて国力を増大させたことによって古代中国の戦国時代を終わらせて天下統一を果たしました。
その「法」というのはもちろん近現代における法律の概念とはかなり異なりますが、決まったルールに基づいて運営すると言うことが当時としては画期的で、戦国七雄と呼ばれた、秦・韓・魏・趙・燕・斉・楚の中で秦が抜け出した一つの要因でした。
その「法」に基づく秦では国による人民支配がかなりきつく、高率の税金や大規模な工事によって民衆は疲弊しきっていました。そんな中、陳勝呉広による乱に始まり、秦帝国は倒れ、楚漢抗争を経て劉邦による漢帝国が始まります。
その劉邦が秦の根拠地である関中に入り、国家による法の暴力に怯えていた民衆に向かって宣言したのが「法三章」です。
曰く、
・人を殺した者は死刑にする
・人を傷つけた者と盗んだ者は相応の罰を与える
とのこと。
「法三章」といいながら二つしかないやん!というツッコミは無しです。傷つけた者、盗んだ者で二つとカウントしますので合計では三章となります。
非常に簡潔な内容で、一度聞いたら誰でも覚えられるような法です。煩瑣で厳格な秦の法に苦しめられていた民衆の心をつかみました。この後、劉邦は項羽に関中から追い出されてまた戻ってきて泥沼の抗争を戦い抜いて最後には勝者となります。
もちろんずっと漢帝国が法三章で運営され続けたわけではありません。人口が増え、産業が発達していく中で普通に法律は増えていきます。
この「法三章」の逸話のポイントは、複雑な法律で苦しんでいる人民に対して、新しい為政者は法を簡素にすることで人心を掌握できるということです。
逆もまた真なり。もし法律が緩すぎるというか規制すべきところを出来ていないことで社会が混乱しているのなら、厳しくすることで安定と安心を人民に与えることが出来ます。
少し前にあった、あおり運転を禁止・防止するための法改正についてのニュースを見ながらそんなことを考えました。
「あおり運転罪」新設へ 免許即取り消し、警察庁
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO53031310W9A201C1MM0000/
本来、人を傷つける行為は犯罪であり、裁かれて当然のことです。しかし、今回改めてあおり運転を罪として特別に扱うようになったのは、あおり運転自体が人を傷つける行為であり犯罪であるということを理解していない、悪質なドライバーが多いということでもあります。
また、罪刑法定主義という主義があります。これは、罪として裁くためにはその犯罪と刑罰について法律として存在していないといけない、という原則です。あおり運転が社会問題化している現状としては当然でもあり、素早い法制定になったことは国会や省庁の対応が良かったものとして褒めるべきでしょう。
これによって、馬鹿げたあおり運転によって被害を受ける人が減ることを祈ります。
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