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文化大革命の復活というよりも、戦前の日本に近いかも知れない今の中国情勢

中国では私教育産業に続いて、報道関係も民間営利団体を排除することになりました。

中国恒大集団の危機は依然として続いていますが、習近平国家主席が掲げる「共同富裕」のスローガンは、特定の企業・資産家だけが利益を抱えることを否定するものですが、裏を返せば中国国内だけでの売上・利益が限界に近付いたからといって、欧米での事業展開や欧米からの投資を受けることはまかりならぬ、という意思表示でもあります。

社会の安定化を考えると富の再分配はされてしかるべきですが、それは法と秩序に基づいて実施されるべきであって、政権や最高権力者の意に添わない大企業や資産家が人格批判のような形で財産や自由、果ては生命までを没収するとなると、穏やかではありません。

今の中国は文化大革命の復活だという意見もありますが、むしろ戦前の日本に近い部分もあるのかと思います。政府が金持ちを個人レベルで非難して吊し上げると、それに過剰に反応する人たちも出てくるでしょう。

戦前の日本は、1932年に血盟団事件が起き、井上準之助や團琢磨という財界の要人が暗殺されました。地方の農民は苦しんでいるのに政財界の金持ちは搾取した金で贅沢している、という不正確な憤りは、テロや暗殺を誘発しうる証拠でもあります。

あるいは、1985年の豊田商事事件では詐欺が大規模な社会問題化したところで、2人の暴漢が報道陣の押し寄せた豊田商事会長の自宅マンションに押し入って殺害に及びました。井上準之助や團琢磨と永野一男を同一視するつもりはありませんが、テロ行為を行う側の理屈では近いのかも知れません。

血盟団事件のようなことが現代中国でも起きると断言するわけでもないですが、社会が行き詰まれば穏やかではない実力行使に出る人や団体が現れます。

あるいは、上からのクーデター、白色テロによって反政府・反習近平勢力を潰すこともあり得ます。

それで社会が安定化すれば落ち着くでしょうが、まず安定化しないでしょうし、さらに行き詰まってしまえば、内憂から目を逸らすための外患を作り出すことになります。

「我が国が苦境に立っているのは外国のせいだ!」

という台詞は、古今東西あらゆる国家で用いられた常套句ですが、さらにその理屈が進めば、「外国のせい」を解消するための軍事侵攻に発展します。

本来、軍事力は抑止力として使うときが最も効果的です。「殴るぞ!」といって拳を振り上げた時が、コストも消耗もないのに相手に影響力を及ぼせます。

実際に武力として行使してしますと容易に止められませんし、消耗や損害を補充しなければならないですし、周り(国際社会)からの非難と制裁を受けることになります。長期的には、実際に振るった軍事力は抑止力を上回る効果を得られません。

そして、現実の社会でも同じですが、殴るぞという奴と実際に殴った奴では後者の方が圧倒的に悪者になります。そういう意味では、実際にウクライナを攻めたプーチン大統領の命運は習近平よりも短いかも知れないですね。

ナチスドイツのレーベンスラウム(生存圏)という考え方は、戦前戦中の日本でも満蒙に対して用いられました。今の中国にとっての南沙諸島・ウイグル・チベット、そして台湾がその生存圏だと見なしている可能性もあります。中国が超大国として世界に君臨するためには、アメリカの影響を中国周辺から排除する必要があり、そのためには周囲への侵略が必要と考えかねません。

現在、習近平とその近い人たちは、実際に軍事侵攻してもメリットよりデメリットの方が大きいと考えているでしょうけれど、国内で政権が苦境に陥れば考えも変わるでしょうし、何より、関東軍のように中央政府のコントロールが効かず、絶対的トップのためというお題目を掲げる軍隊が出てくると、誰にも止められなくなります。

こんな予想は外れた方が良いのですが。

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