生産性・効率性を向上させることを否定する根性論は人間の進歩の否定でもある

生産性の向上というお題目はこの数年どころか十数年、日本のビジネス界隈、労働環境関係で言われて続けています。言われ続けているということは、実現していないことの裏返しです。

効率を良くするために改善改革しようとすると、従来のやり方に固執する抵抗勢力も出てきます。今までのやり方でやってきたのだから変える必要がないとか、効率よくするというのはずるい考えだとか、それこそ根性が足りないとか努力でなんとかなるとか、アレコレ理由を付けて拒む勢力です。

しかし、そもそも人類、ヒト、ホモサピエンスの発展の歴史というのは、生産性向上の歴史とほぼ同義です。

狩猟採集社会では毎日その日食べるものを採らざるを得ず、食料の保存は後代に比べるとほぼ出来ませんでした。

農業がメインになってくると、保存しやすい穀物を収穫できるようになります。年を越して保存も出来るので、その時間的、労力的な余分のリソースを文化の発展に費やすことが出来るようになりました。

その中世的な社会においては、マルサスの人口論に出てくるような、土地面積の制限が人口の制限にもなっていましたが、品種改良や化学肥料の発明によって、単位面積あたりの収穫量が抜群に増加し、それによって人口も増え、社会も発展(良いも悪いも含めて)してきました。

その後の現代社会までは、紆余曲折もあれど、概ね一人当たりの生産性・効率性が向上することで、余暇も余剰も生まれ、その分余裕が出てくるというプロセスを経てきました。

毎日、口にするものを探し回っていた頃に比べれば、週40時間労働が多くの国で定着し、一部欧米の企業で週4日労働に切り替わり始めている現代社会での生産性は比べるべくもありません。

生産性を上げ続けることは、人口増を続けてきた過去の人類の歴史においても至上命題だったのです。かてて加えてこれからの日本社会では人口減のフェーズになります。というか既に人口が減り始めています。

この人口減社会において、一人当たりの生産性・効率性の向上は日本の社会も国家も存亡の危機を救う唯一の方法であるはずです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?