質が落ちたのはテレビ番組か?

先日、TVタックルが、手の常在菌を使って発酵させたジュースを提供する店を紹介していて、ものの見事に大炎上していました。そりゃそうだろと言わざるを得ない炎上であり擁護のしようもありませんが、この件に対する批判で、テレビの質が落ちたとか、こんなこともチェックしていないのか、というものを見かけました。

ぶっちゃけて言うと、昨今のテレビ番組の質が落ちたとは個人的には思っていなくて、むしろ今も昔も大して変わらず、質なんてこんなもんだろうと思っています。

今を批判する為に昔を持ち出すのは本当によくあるパターンで、年配の人間に良くありがちではありますが、若い人にもあり得るもので、昔の良かったところのみをピックアップしてそれと比較する形で、今の悪いところを批判する、ということも本当によくあるパターンです。

私の記憶に残っているテレビ番組というのは80年代以降のものですが、昔のテレビには面白いもの、素晴らしいものもたくさんありましたが、その一方でつまらないもの、くだらないもの、問題のあるものだってたくさんありました。

だからこそBPOのような団体が出来たり、業界としての自主規制が入ったりするように、少しずつ変わっていったのです。

その一方で、インターネット、SNS、動画共有サービスの登場により、テレビ番組への批判が可視化され、エコーチェンバー現象に代表されるように、過激な言説が増幅される時代になりました。

テレビへの批判が視聴者から直接的になったのが今と昔の違いです。

かつては、テレビ番組への批判を視聴者が感じたとしても、やれることは電話や郵便でテレビ局に抗議するか、新聞の投書欄に意見を出すくらいしかなかったのです。あるいは、同じマスメディア内で、評論家や知識人(これももはや死語になりました)がアレコレ言うくらいで、結局マスメディア内部で処理される話でした。

「テレビの質が落ちた」
という批判自体が、可視化されるようになっただけであり、今も昔もこんなもんだったと思っていれば、そんなに目くじらたてんでもええやん、という気になります。

テレビが普及し始めたときに、大宅壮一が「一億総白痴化」と批判しましたけれど、今だと既存メディアがネットやスマホに対して同じことを言っています。

そのうち、ネットについても同じことになるでしょう。事実、SNSにおける自主規制という名のBANは、利用者にとっては悩ましい問題です。テレビを批判する視聴者が批判の過激さによってSNS上でBANされたら、今度は「ネットの質が落ちた」という批判に溢れることになるのでしょうか。

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