セイレーン.

浴槽の人魚は湯冷めをして死んでしまった。昨日見た夢は蘇生して、地球はもう平面なんかじゃない。三日月は滑って転んで、あの人のどの爪ともぜんぜん似ていない。
彼女は月を、いつも地球と相対的に捉えていた。月と、地球と、太陽の相関図がゆっくり、ゆっくり動いて見えるそうだ。僕には空が平面に見える。奥行きに気づいてしまってから少女の世界は34度、左に傾いた。

寝て起きたらひとりだった。ずっとそうだ。僕がその「ひとり」目で、どういう基準でそれは数えられて、どうなればふたりに増えるのか分からない。寂しいから震えていて、それを寒さと錯覚するのか、それとも単に寒さが寂しさと似ているのだろうか。
似たような思考ばかりを繰り返している。似たような、というかまるっきり同じ思考を何度も、何度も。

例えば、この世でたった僕だけが人間でなかったとする。例えば、この世でたった僕だけが、人間だったとする。
夢を見る人の寝顔はきれいで残酷だ。きれいなものから死んでいく。
少し夜がふけるだけで違う次元にいるみたい、広い駐車場のど真ん中をつっきって歩く。夜散歩帰りの8時半、近所からする風呂の匂いに焦燥を感じた。

記憶にばっかり縛られているからいつまでも苦しい。記憶に縛られているから、未来のことがぼやけている。人はその全てが過去でできている。
人生なんて消費しかしないのだから失ったものを数えていたって前には進めない。無理に生産しようとすればするほど躓いて、他の何かを消費してやがてまた失う。人生なんて変化しかしないのだから。変化とはつまり失うこと。何かを得たってそれは「得る前の自分」を失ったに過ぎない。
ぜんぜんきれいじゃなくても、美しく生きたい
生活を愛したいのに、生活じゃない時間ばかりを愛してしまう。アイスを食べながら本を読む深夜とか。

愛されたいけどそれと同じくらい愛されるような人間になりたい
人に嫌われたときいちばん悲しいのは、自分が誰かに嫌われるような人間だったという事実だし

忘れても忘れられないような夜ばっかり、それはつまり、だいたいいつも同じ夜ということ
いつか生活を愛せたら、歯車の一瞬を、人生を愛せたら、私はたぶんこんな夜を過ごさなくなる
変化とは失うこと
ひとつ愛せば、ひとつ愛せなくなる


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