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パステル蝶とビビッド蛾

子宮内膜症の治療としてピルを飲み続けて半年くらいになる。飲み始めたときは「お腹が全然痛くない!生理がないってこんなに楽なんだ!」といちいち感動していたけれど、今ではもうそれが当たり前になっていて、かつては毎月生理があったことすら忘れかけている。

こんなに長く生理が来ないのは何年ぶりだろう。なんだか、ちょっと寂し…?いや全然!寂しくないです。12歳の頃に断りもなくやってきて以来、ずっと居座っている厄介な隣人、それが生理。どんな重要な役割があるのか十分知っていても、やはり好きにはなれない。

心臓とか肺と同じ、私の体にくっついてる臓器の一つが子宮…なのだけれど、世の中では「赤ちゃんを育てる器官」という部分が強調されすぎな気もする。神聖なイメージなのだろうか。その辺はよくわからないが、とにかく、私は初めて生理の存在を知ったころから、そういう雰囲気を感じている。

小学校高学年のころ、学年の女子全員に配られた、生理についてのパンフレットを今でもよく覚えている。生理ナプキンの使い方や、月経が起こる仕組みを解説するページは、パステルカラーや淡いピンクで彩られていた。そしてところどころに挟まれる「さなぎから蝶になる準備」「あなたも素敵なレディを目指そう」といったフレーズ。このパンフレットだけではなくて、私が触れた(女子向けの)性教育の資料は、どれもそんな感じだった。

大人たちは、初めて生理を迎える子供に、なんとかしてこの現象をポジティブに紹介したかったのだろう。今ならわかる。よく話し合ってパンフレットを作ったに違いない。が、当時の私は「こういうのってちょっとキモい…」と思ってしまった。自分はピンクが特別好きなわけじゃないし、「レディ」なんてキャラでもない。そういう大人になる自分が、想像できなかった。

別に「レディ」なんてならなくてもいい、とわかったのは本当に最近になってからだ。さなぎから出てくるのはパステルカラーの綺麗な蝶じゃなくて、眩いビビッドカラーの蛾かもしれない。そして、蝶にしろ蛾にしろそれ以外にしろ、どうなりたいか決めるのは私だ。

私に言わせれば生理は、排泄とか呼吸と同じカテゴリーである。排泄物で将来が決まる人間なんて見たことがない。そのはずなのに、生理はしばしば「大人になること」と結び付けられてしまう。生理は何か困難を乗り越えた先にあるものじゃなくて、ありふれた日常の一部でしかないのに。

映画や漫画で、登場人物が初めての生理を迎えて、ああこの子も大人になったね…という展開が私はどうしても好きになれない。それが物語の序盤ならともかく、ラストシーンの「結論」とか「締め」みたいになるなら尚更である。誰かが成長した証を、それまでの展開と関係のないただの身体現象に託さないでくれ…!

もしかしたら、私が捻くれているだけで、生理にピンクとかパステルカラーのイメージがあることに対して、抵抗感のない人のほうが多いのかもしれない。生理が始まったら、素敵な大人になれると思う子供もいるかもしれない。生理が来たのを喜んで家族に報告できる子供もいるかもしれない(家族に「おめでとう」と言われるのが嫌で、一年半も生理を隠していた私とは違って)。

「(初めての)生理」とそこに付きまとうイメージに対して感じたむず痒さを、10年以上も考え続けている自分って、やっぱり変なんだろうな…と思うこともある。

偉そうなことばかり書き連ねたけれど、結局私自身も、子供に生理のことを教える立場になったらたぶん慌ててしまう。ただの体の仕組みでしかないのに、ここまで悩まされる生理というものは、やっぱり厄介だと思う。はっきり言えるのは、生理を「女性らしさ」「大人らしさ」に結びつけたくない、それだけだ。

少なくとも私自身は、生理があってもなくても自分であることに変わりはないし、さらに言えば子宮があってもなくても私であることに変わりはない。今までもそうだし、これからもそうだ。付き合いかたをのんびり考えるには距離感の近すぎる存在だけれど、「あ、今日はいるのか…」くらいの感じで今後も上手くやっていけたらと思う。

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