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卒業制作日誌 (18)

ついに、卒業制作のコマ撮りアニメーションが完成した。

この姉妹(植物の擬人化)が、暗〜い木のうろの中に閉じ込められてて、外から差し込む光の方を見ながらもがいてるような、そういうお話です。制作者の心の問題がそのまま反映されています。

「ついに」と書いたけれど、編集作業が終わった瞬間は「本当にこれでいいのか?もっと良くできたんじゃないのか?」と考えてしまい、何となく完成を喜べなかった。最後の最後まで、作品と向き合うのが何となく怖かったし、出来上がっていく実感がわかなかった。もっとなんか、「わーい!完成だ〜!」というテンションでこの日を迎えるはずだと思っていたのに、実際は全然違った。

学校へ作品のデータを持っていく時も、「今は知り合いと会いたくないなあ…」と考えていた。人に見せられない、ちんちくりんな作品を作ってしまったような気がしたし、寝不足で頭も体もぐったりしていて、ちゃんと会話をするのも面倒に感じた。

次の日の最終審査会で、先生方に優しい言葉をかけてもらい、ようやく「あ、自分結構頑張ったじゃん…」と思えるようになった。本当は、努力と評価は必ずしも比例するものではないと思う。それでもやはり、褒められると嬉しい。何より、自分の作品に興味を持ってもらえることは幸せなことだと思う。

同期からも、「あれすごかったね、どうやって作るの?」とか「作品のURL教えて!」と口々に言われ、嬉しさと同時に不思議な感じがした。普段なかなか話せない人とも、作品を通じて話すことができた。自分はずっと、情けなくてダメダメな状態が当たり前だったのに、ここでもみんなが優しい言葉をかけてくれている…なんか、誕生日みたいだなと思った。(そういえば去年の誕生日は、メンタルがかなりやられていた時期で、みんなに頼んで励ましの言葉をかけてもらったのだった…)

制作期間中は本当に苦しくて、一人きりになると軽いパニックになったり、泣いたこともしょっちゅうあった。図書館で本を借りても、活字が全く頭に入ってこなかったし、外に出るのが怖かった。週に一回の対面授業で、同じく卒業制作に取り掛かっている友人たちや先生と会うことで、何とか息ができていた感覚がある。

あんなに苦しかったのに、「コマ撮りなんて面倒だからやめとけばよかった」と思ったことは一度もない。制作がうまくいかないのは苦しいけれど、制作そのものは楽しかった。一旦作業に集中すれば悩まずに済んでいたし、余計なことも考えなかった。誰かのためにやっていたわけでもなく、ただ楽しいから制作していた。

その、ただ楽しいからやっているだけの制作が、自分の世界観の密度を上げていく営みだったのだと思う。今回は、その世界観に対する感想やリアクションをたくさんもらうことができた。作品そのものだけではなく、制作中の日々や、作品の裏の考えにも、新たな意味づけがされた気がする。

卒業制作が完成したことで、特に何か悩みが解決したわけではない。やることもまだまだ残っている(特に就活…)。でもひとまずは、弱さとか情けなさとか、自分の制作に対する後ろめたさのようなものを、少しだけでもカバーできたんじゃないか…と思っておきたい。


(卒業制作日誌は、もう少しだけ続けようかなと思っています…)

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