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俺、このままマンモス狩ってるだけで良いのかな。

ぼーっと生きるのってダメなんですかねえ。

よく聞く話の中の一つに引退後のことがあるんですけど、引退して普通に働いた時に「自分がこの仕事をする意味はあるんだろうか」みたいな悩みにぶつかりがちらしく、それに対して冒頭のように私は思っております。
注目されることが無くなった、成果が目に見えづらい、人と同じことをやってる、といった現役時代とのギャップに戸惑ってしまうそうです。

自分にしか出来ないことをやるとか、やりたいことをやるのは良いこととして語られ、誰にでも出来る仕事をやる・社会の歯車になることがその対照として語られることは少なく無いわけですが、私はどちらも素晴らしいことだと思います。

やりたいことが無い、という悩みに対していつもする話で
例えとして、大昔マンモスとか狩って人類が暮らしてた頃を想像して欲しいのですが、その当時はマンモスを狩らなきゃその日のご飯は無いし、遠くまで水を汲みに行かないと生きていけなかった訳ですよね。
自分の仕事が「生きること」に直結してた時代、それにやりがいを感じてるかどうか悩んでる人なんていたんでしょうか。
「俺、このままマンモス狩ってるだけで良いのかな」とか思い耽ってたら怒られそう。

蛇口から水が出て、コンビニに行けば出来上がった食品が買える時代に生きてる今、やりがいを感じることは確実に難しくなりました。
余暇と選択の自由が多すぎるんですね。
余暇をキラキラしたもので埋めている人がいる、社長やってる同級生がいるとする。
「俺、このままレジ打ちしてるだけで良いのかな」と思う。
自分の仕事が生きることに直結してる感覚が得にくい時代に、私たちは生きています。

それを不幸なことと思うなら、自分の今着ている服を触り、今日食べたものを思い出し、自分が立っている足元を見てみる。顔も名前も知らない大勢の誰かが、そこに関わっていることを想像する。
社会の一部になること、全体の一部でいられることを感じた時、私は「幸せだな〜」と思います。
誰にでも出来る仕事をやって、ブラジルで作られたコーヒーを100円で買えるなら、マンモス狩ってた時代よりこちらを選びますね。
この記事でマンモスってめちゃ書いてるけど、本当にマンモス食べてたのかな?


あと思うのはペットとして飼われてる犬とかって、家で毎日めちゃくちゃくつろいでますよね。
屋根があって、天敵もいなくて、毎日ご飯が出てくる。
餌の入った皿を目の前にして、「こんな風にボーッと生きてたらダメだわ!」って窓ぶち破って狩りに飛び出す犬っていないじゃないですか。もしいたらすみません。
犬と人間一緒にしたらダメなのかもしれないけど、なんかこう、ボーッとしてられるのってその幸運を最大限享受してるようにも思うんですよ。

やりたいことやってる人は確かにいるし、それは良いことです。
でもやりたいことは無くても良いし、それが良くないことのように言われてるのは残念だと思います。
先代の人達が作りあげてきた社会の一部になって、ボーッとしたりシャキッとしながら生活していく。
やりたいことやってる自覚がある方は、やりたいことが無い人や誰でも出来る仕事を毎日続けてる人に、チクチク言わないようにしたいですよね。
感謝と尊敬は大切ですね。
歯車万歳。

noteの投稿頻度上げたい期なので、ライトに色々上げていけるようにします。
もし質問など、話のネタにしても良ければどしどしメッセージをお待ちしてます。

それでは!

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