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-56.75- その先へ

2019年11月29日~12月12日の約2週間、六本木FUJIFILMSQUAREにて
写真家・関健作さんの写真展が開催されました。

アスリートの記録と記憶をテーマにした写真展で、
5人のアスリートのうちの一人として私が登場しました。

"56.75"は、私が400mHで2016年にマークした記録です。
日本歴代7位、20歳以下の日本記録として今も残っています。

華やかな記録の裏側にある影の部分、
トップアスリートが感じた壁を題材にした写真展を企画しています、と関さんから依頼があったのは昨年の10月頃でした。
あの為末さんや高平さんに並んで良いんですか!と驚きましたが、私のnoteを読んで題材にしたいと思っていただけたそうです。

怪我や人間関係、プレッシャーなどに悩んできたアスリート5人の中で、
私は「コーチに依存し自分を見失っていくハードラー」というパートで登場しました。

実は、私のパートは取材当初このようなテーマになる予定ではありませんでした。
最初の取材では、自分に起こったことをあまりオープンにせずに話をしていたからです。

実際に写真展で私の展示と文章を読まれた方はわかると思いますが、私に起こった出来事はとても辛く苦しいものです。
上京した直後はPTSDの診断を受けていて、自分の気持ちがわからない症状やフラッシュバックに悩まされていました。

他にも胃痛やら不眠やら過食やら色々あったのですが、この「自分の気持ちがわからない」というのは中々やっかいでした。

自分が傷つく結果も予想が出来ないので回避できず、
「自分のことをわかって欲しい」という思いから、誰にでも自分の身に起こったことを軽々しく話せていた時期がありました。
今は起こったことを話そうとすると、喉がつまって話せません。

現在のパートナーに出会ってからは、話さなくてもわかってもらえるという安心感を少しずつ知って、何でもかんでも話さないことで自分を守れるようになりました。
そうすると次第に、心と記憶の表面に浮かんでいたものは下へ下へと沈んでいって、今では日常で思い出すことはほとんどありません。

ただ、それは重たいものが下に沈むのと同じで、消えて無くなった訳ではなく、
自分でも触れられないほど暗く深いところにいつも沈んでいるようでもありました。

今年の7月、2度目の取材がありました。
丁度、陸上を休み始めてしばらくの頃です。

関さんに手製本の写真集を見せてもらった時、
作品になった自分自身を見て思わず泣きそうになりました。
そして「前回の取材では話していなかったんですが」と、自分の過去を掘り下げて話しました。
関さんはとても驚いていましたし、作品にしていいのですかと戸惑っていましたが、私は作品にして下さいとお願いしました。

「深い所に沈めて見えないふりをしても、それが無かったことにはならないからです。
そして、今この瞬間も傷つけられている選手は存在しています。
作品にして、世に出してください。
関さんを信用します。」

関さんは写真展が始まる前から、私のパートに共感が多く集まると思うという話をされていました。
実際とても多くの感想が集まったようです。

私は最終日の前日に、友人と見に行きました。
元陸上選手の彼女は展示を見て泣いていました。

いざ完成したパネルを眺めていましたが、
自分の中に重く沈んでいたものが、体の外にあることを目で実感するという不思議な感覚を味わいました。
過去は変えられないけど、過去に対する捉え方が若干変わったと思います。

作品にして昇華することは、私のただの独白とは全く別物です。
私は取材に応じただけですが、関さんと一緒に良い仕事ができたと感じましたし、何よりも関さんの表現力に救われました。

こんな風に苦しむ選手が一人でも減って欲しいとより一層感じました。

今は小さな声かもしれないけど、
私は56.75の先に必ず行きます。

それでは。


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