困難が現れ続けても、前進していると信じる
今月はストレッチがマイブームなので、毎日何かしらのストレッチをして、少し肩周りがマシになったような気がしている。
マシになっている気がするものの、今日久しぶりに整体に行ったらまだまだ背中も肩も硬くて、めっこりほぐされた。
「ストレッチを毎日してたけど意味なかったのかな?」と少し思ってしまう反面、いままでストレッチで解されていたところよりも少し奥の筋肉までリーチしている気もする(気のせいかもしれないけど)。めげずにストレッチ習慣を続けたい。
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仕事をしていて、「一定期間あるテーマを対象に頑張ったのに、取り組んだ結果、別の課題が見えてきて、結局元々のゴールが達成されていない」ことに凹むことが時々ある。
去年のある時期もそういった出来事があり、振り返りの会議の中で少し自虐的な気持ちになってしまった。自分たちの中でも間に合わせの結果を作った自覚はあったし、周りの部署からも、私達の報告に対してあまり芳しい反応を得られなかった。
そんなとき、部署の人が「取組の結果、わたしたちにはまだこのアプローチは早いことが分かったし、他の部署とも具体的な課題について話せるようになったので前進したと思う」と言ってくれて、発想の転換に驚いた。
もちろん、最初に設定したゴールに一足飛びにたどり着ければ万々歳。だけど、そこにたどり着けなかったとしても、取組の結果、新しい課題が顕在化するというのが学び、という考え方をわたしは持ち合わせていなかった。ゼロヒャク思考というか、分かりやすいゴール達成でしか自分や周りのことを評価できていなかった。
もちろん、ゼロヒャクで結果が変わってしまう状況も世の中にある。でも、プロセス自体の価値や、そこからの学びにも価値を見いだせるようになりたいなと思った。そのほうが人生の出来事を前向きに捉えられそうだから。
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最近やっている仕事も、なんだかスマートに進められなくてもどかしい気持ちを抱えている。「いまだに物事がスムーズに進められないのか…」と正直少し自分にがっかりしている節はあるけれど、これもまた捉え方次第。
周りに頼りになる人はたくさんいるが、だからといってやり方を教えてもらうのではなく、やり方を編み出す方法を身に着けることをやりたいなと思い、しばらく粘っている。もうしばらく試行錯誤が続きそうだけど、この試行錯誤を一人で抱え込まず、周りの人の力を借りようと動けるようになったところは前進と言ってもいいのではなかろうか。
「失敗は原因を特定できるけど、成功した理由は説明できない」みたいな話を聞くけれど、「物事ができるようになる」というのも近いのかもしれないな、と思う。その工程を一通り自力でできる、というのはパッと見簡単というか、一つのスキルで実現できているように見えるし、たぶんできるようになったあとは、自分自身それが一つのスキルのように捉えてしまうんだと思う。でも実際にできるようになるには複数の小さなスキルが必要で、一気にすべてを身につけることはできないから、少しずつできる範囲を広げながら前に進んでいくんだろう。
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ということで、ストレッチをしてもまだ肩こりが完全解消したわけではないと分かったものの、前よりも状況は改善しているはずなので頑張ろうという気持ち。
いつか整体で肩こり以外の悩みを相談できるようになることを目指します!
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