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当たり前に、ありがとう。

今、生きているということ。

休むことなく息をして、身体が不自由なく動いて、こうして文章を書ける元気があること。

蛇口を捻れば水が出て飲めること、好きな時間に自由に外出しても危険にさらされないこと。

家族や友達がいること、インターネットさえあればいつでも連絡が取れること。

言葉が通じること、どこか遠くに行きたいと願えば行く手段があること。

こうやって挙げていったら、キリがないくらい、日常にはあまりにも感謝しなければいけないことか多すぎる、とふと気付く。

先日、近所で火事があった。
別の日には、ある人が難病と闘っていると知った。

最近、年齢や習慣、それだけでは変えられない何か、運命のようなものが、私たちの人生を操っているように感じる。

人生100年時代なんて言うけれど、そんなのはあくまで平均で。

どんなに若くたって、元気だって、誰しも明日には生きていないかもしれない。

「人は生まれたときから死に向かっている」

そう、いつしか聞いたことがある。

人は、期限が明確になってから本気で焦り始める。

でも、死へのカウントダウンはあるとき突然始まる。あるいはカウントダウンすら、お別れの準備すらできないまま、いなくなってしまうことだってある。

20代の私には、もしかしたら向き合ってきた生と死の数はまだまだ少ないかもしれない。

それでも、あるとき突然訪れるお別れは、いつだって私の心に衝撃と傷、そして後悔の念を残していく。

命ってなんて儚くて脆いんだろう。

それでも、新しい命がこの世で産声をあげると、尊さや神秘も同時に感じる。

そう、それは人間だけじゃない。動物も植物も全部ぜんぶ、命あるもの。


私の当たり前が当たり前ではないことに、
全然気付かなかった。

私の前では何気ない顔して、知らない間に闘っているなんて気付かなかった。

気付いても、思いを言葉にすることなんてなかった。

何が言いたいのかっていうと、
失ってはじめて大切さに気付くようじゃ遅くて。

言いたいことは我慢せず、思ったその時にちゃんと伝えるべきだなって。

そう、強く感じたんだ。

次いつ会えるかなんて分からないし、自分だって、いついなくなってしまうも分からない、絶対という現象は存在しないもの。

ありがとうって言葉、照れくさくて身近な人ほど言えないんだけど、

もっと惜しみなく伝えていこうと思ったよ。

大好きなみんな、いつもありがとう。

そして、私の当たり前に、ありがとう。

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