「家族」に当てはまれない私

私は一度結婚している。

20代前半での結婚で、
3年も付き合っていたし、
価値観の違いも感じたことがなかった相手だった。

しかし、3年もせずに夫婦関係を解消してしまった。
理由は色々あったけれど、発端は価値観の違いだった。

私と、元パートナーとの価値観の差を明確に感じたのはプロポーズ後であった。

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私の父に結婚の報告をした日、
父が「お母さんにも会って伝えよう」と言ってくれた。

母親のことは、話してあったし、
心の中でモヤモヤしていることも伝えてはいた。
彼は静かに聞いてくれていた。
(母のことはこちら:得体の知れない何かという私の母親

施設にある母親の部屋に入ると、
介護用ベットに横たわる何か、は今日も息をしていた。

私は無理しながら「お母さんきたよ。」と伝えて、
冷えている腕を摩った。

彼は積極的に挨拶していた。
「お母さん、○○と言います。かずはさんと結婚させていただきます。」「大丈夫ですか?また来ますね。」
私はその光景を、後ろから見ていて、遠い世界のように感じていた。

彼の私の母親へのやりとりは、誰に話しても素敵な対応だったと思う。

それでも、あの頃の私にとっては、
得体の知れない何かと話す、奇妙な空間であったし、
「お母さんきたよ。」以外に声をかけない自分が、親不孝の薄情者だと言われているようにしか感じることができなかった。

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帰り道に、彼が運転する車の助手席から外をぼんやり眺めていた。

そんなとき彼が
「お母さん、元気そうで良かったね」と言った。

元気?何を言っているのだろうか。
自力では息をすることしかできない、あの寝たきりの何かを、どうやって元気と言うのか。

「うーん、そうだね。」
「お父さんもかずはに会えなくて寂しそうだし、もう少し実家に帰ったら。」
「お父さんとは今ぐらいの関係がちょうどいいの。年に1〜2回会う、そういうぐらいが。」
「お母さんにももっと声をかけてあげなよ。」
「・・・・・・目の前にいた人を母と思えないんだよ」
「そんなひどいこと言っちゃダメだよ。そのうちお父さんとも、お母さんとも、仲良くできるよ。」

お節介も大概にして欲しくなった。
私は父のことは尊敬する部分はもちろんあり、嫌いではないけれど、性格的に合わないと思っていたし、
母親を母と思えなくなっていた。
彼の言うことは世間の理想であると思いながらも、
受け流すことはできずにただただ重かった。

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義母が、私の母親の容態を聞いたあとに「私をかずはちゃんのお母さんになりたいの」とメールが届いた。
私からすると、ありがた迷惑だ。
私の母は、私の中で死んでいて、母のことはちゃんと母と思っている。
しかし、それが伝わらない。母と思わずに頼ればいいのは分かっているが、ことあるごとに「もっと頼って。」「私はお母さんよ!」「家族なんだから。」と言われて、疲弊した。
そして彼に愚痴として言ってしまった日には、「母さんも悪気があって言ってるわけじゃないんだから。かずはこそ、態度をどうにかしたら。」の一言だった。

のちに彼と義母のメールのやり取りで知ったけれど、
私は母親がいなくて、父に育てられたから、常識がなくて、結婚するような能力がない、と評価されていた。

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義両親や彼のいう「家族」に当てはまらない私は、
日に日に世間で生きる資格がないと評価が下がっていった。

義母からは、「結婚式で花嫁の手紙も読まないような常識知らずが、家族を大事にできるはずがない。」と言われ、口論になった。

そしてその数ヶ月後、「僕の母親とも仲良くできないような君は、結婚する資格がないよ。離婚しよう。」と彼は言い、立ち去っていった。

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最後の一言だけ切り抜くとマザコンチックだが、彼は「家族」についてこう言っていた。

結婚は一生一緒にいれる契約で、好き同士でなければいけない。
そして普通の家族を作ることができる。
子どもが1人とか2人いて、親や親族とも仲良く毎日過ごすもの。
家族だから助け合うのは当たり前だし、感謝しなければいけないもの。

素晴らしい回答だと思う。
世間一般の理想であると思う。

でも私にとっての「家族」ってなんだろう。

そもそも、「家族」の定義は人それぞれだし、社会で決まっていないと思っている。
同じ屋根の下に暮らす単位を家族というのも正しいし、血縁関係を家族というのも正しい、戸籍の単位を家族というのも正しい。
そしてそれは変化するもので、結婚したときの私は婚姻した彼と私の関係を家族と定義していた。

彼が、私の父や母を嫌おうとどうでもいい。
別人格の人間であるのだから、好き嫌いは当然存在するし、好きになれと強要する気もサラサラない。
それと同様に、子が親を嫌おうが好こうが、それも人間同士だからあるのは当然だと思う。親が死ぬ時に後悔するみたいな可能性はエンタメやメディアで多く描かれているし、それに感化されて何かアクションを起こす人もいるだろうが、正直悲しいことに親が倒れたり病気になったり死んだりしないと分からないと思う。その時に、喜んだっておかしくはない。

ただ、もうそこから彼と違っていた。
彼にとっての家族は、彼のご両親と妹と、夫側の苗字を選択した私の5人が家族だった。
私は、彼にとっての家族にひどいことをしたし、それは彼への裏切り行為だった。
残り少ない寿命の人間を最優先するのが当たり前で、そこに自分の感情よりも家族は大切にするべきものという考えが正当な考えである彼らだった。
お互いの守りたい家族の価値観が、全く違ったのだ。

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そんなわけで、義両親が保証人になった離婚届が丁寧に郵送され、
私も署名をし、私が役所に提出をした。

私にとって、短い結婚生活は夢だったかのように、日に日に思いは薄れていった。

ただ、1つ大きく学んだことは、
私は「家族」を作れるような人間ではないということ。

今後、同じ価値観の人に出会える可能性はあるし、
もう結婚は絶対にしないとは、言えない。

だが、母親を母と認識できないのも、父に素直になれない自分も、
こんな薄情者が生きていってはいけないのだと、学んだ。