「感性を磨く」
数年ぶりに、インフルエンザになりました。
今すごく流行っているみたいですね。
改めて健康の大事さを痛感しております。
こういう自分自身のピンチのときは特に、周りの人の優しさやありがたみが身にしみます。
いろんな人に助けられて、私は今週も金曜日を迎えることができました。
(助けてくれた皆さん、本当にありがとうございます。)
インフルエンザだろうがなんだろうが、金曜日にnoteを更新するという約束は、鉄の誓いで破らないと決まっているので(笑)、ぼーっとする頭で何について書こうかを考えていました。
最近とある経営者の方と話した「感性を磨く」ということについて書きたいと思ったので、そのことについて書いていきます。
「『感性を磨く』のって大事だよね。」
今の私は、感性を磨くことが大事だと、ずっと前から思っていました。
その理由についてはこのnoteにも一部書いているのでまだ読んでない方はぜひ読んでみてほしいです。
私が思う「器のデカい人」というのは、人間としての奥行きというか、発する言葉の重みというか、オーラというか存在感というか、一言でうまく収まらないのですがそういうのがあって、今の自分にはそれが足りないなと思っていたんですね。
どうしたらその領域に到達できるかということを考えたときに、自分なりにたどり着いたのが以下の3つでした。
(詳しくはぜひ上記のnoteを読んでください!)
つまり私は、自分自身の器をデカくするために感性を磨くことが重要だと思っていたんですね。
ずっとそんな思いで色々考えていたら、先日とある経営者の方が「感性を磨くのって大事だと思うんだよね」とお話しされているところにたまたまご一緒させていただいて。
あまりこういう話で自分に近い考えを持っている方をこれまで見つけることができなかったので、大興奮で「感性を磨くのって大事ですよね!」と反応したことを覚えています。
(今思い返すとオーバーリアクションすぎて恥ずかしいです。笑)
「感性」とは何なのか。
その話をしてから、改めて自分の中で「感性」って何なんだろうなと考えていました。
私はこういうことを考えるときにまず定義から入るタイプなので(笑)、今回もしっかりと言葉の意味を確認しました。
(カント哲学とか理性とか悟性とか出てくるあたりが、哲学科出身の心(私)をくすぐって仕方ない感じの内容です。)
「感性」と「感受性」って違うのかなと思ったら更にこう書いてありました。
感性というのは、物事を感じたり受け止めたりするだけではなくて、自分が感じたこと受け止めたことをアウトプットすることも含まれている言葉のようです。
「感性」が磨かれているとどうなる?
目に見えないものなので、感覚的なものになってしまうのですが、感性が磨かれている人って、多分お会いしたときにとても「ピュア」に見えて「くもりがないな」と感じる人なのかなと思っています。
自分自身がここまで生きてきて感じることなのですが、あまりにも仕事ばかりやりすぎていると(もちろんタイミングとしてそういう時期が絶対あるし避けられないということは置いておいて)、心の動きが鈍くなるというか、感じ取る能力が衰えるというか、そういう風に思えるタイミングがあったんですね。
そういう風になっているときは、道端で花を見つけて「あ、私、花をきれいだって、思えるんだ」みたいな感じで、心の動きが鈍くなっていることに気づくみたいなルーティーンを繰り返してきました。
こういう時間が増えてしまうと、忘れてはいけない何かを忘れてしまいそうな気がして(別に忘れてはいけないこと自体を明確に理解しているわけではないので、忘れてもいいことなのかもしれませんが)、たまにこわくなります。
私はいろんなことを感じ取れる自分でありたいと思いますし、もっと自分の器をデカくしたいと思いますし、もっと奥行きがあって魅力的な人間になっていきたいと思っています。
そのためには、世界をくもりのない心で捉えて、ピュアに受け止めることが大事だと思いますし、受け止めたものを自分らしく発揮していくことが大事なのかな〜と思ったりなんかします。
(これが感性を磨くことであり、磨かれていることでできること)
最近は音楽を聞きに行ったり、ダイビングにいったり、自然の中で過ごしたり、自分が五感をフル活用して感性を爆発させる機会を設けられていないので今年は必ずやっていきたい。
・・・まずは、インフルで削った自分のHPを回復させるところからですね(笑)
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