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コモンズ思考をマッピングする 第3章

研究室で輪読を行なっている『コモンズ思考をマッピングする ——ポスト資本主義的ガバナンスへ』の第3章「過去と現在のエンクロージャー」について、本章のサマリ、ゼミでの議論内容、感想をまとめました。(文責 M1 高田)

サマリー

コモンズ思考を深めるにあたり理解が不可欠な「エンクロージャー」と、それに対する「カウンター・ヘゲモニー」にフォーカスした章です。第3章ではコモンズの囲い込みの原型と言われるイギリスのエンクロージャーを取り上げ、過去のエンクロージャーを振り返るとともに、デジタル時代に拡大している知的財産権における「新たなエンクロージャー」についての考察が展開されています。

イギリスにおけるエンクロージャー

イギリスでのエンクロージャーは15世紀〜16世紀の第一次エンクロージャーと、18〜19世紀の第二エンクロージャーに分けられます。
第一次エンクロージャーは、領主がコモンズ的管理下にあった開放耕地制農地を囲い込み牧場にし、行き場のなくなった貧農が浮浪者になった出来事です。王朝は、エンクロージャーが農村に破壊的な影響を及ぼしたことを危惧し、農民の慣習的権利を強化する政策を取り、三代に渡り「ヨーマン」の土地の保有を保証しました。
第二次エンクロージャーは、農業の技術革新により生産性向上が起きた時期で、開放耕地制から私的所有権に基づく資本主義農業が進みました。エンクロージャーによってヨーマンが没落し、地主と農民の関係は「地主―資本主義的借地農―農業労働者」と分解されました。この時期は産業革命下であり、議会がエンクロージャー促進を制定し、農業の変化によって食料供給が増えたことで、産業革命で増大した都市の食料需要を支えたとされています。

コモンズ的開放耕地制の欠点を指摘することでエンクロージャーを正当化する二つの通説がありましたが、経済史家のロバート・アレンはその通説を批判しています。

通説1)コモンズ的資源管理はコミュニティの束縛が強く新しい農法の妨げになっていた。
アレンは1800年頃のデータを中心に、開放耕地制の村とエンクロージャーが行われた村を比較分析。

  • 開放耕地制の村に比べエンクロージャー村は新しい作物の導入が先行する傾向はあるが、開放耕地制の村でも新しい作物や新技術の導入が進み、農業生産性の上昇が続いてきた。

  • 開放耕地制の村での意思決定の柔軟性は高く、新しい作物導入も試しに栽培し良い結果であれば全体での導入を決めるやり方だった。

通説2)小農中心の平等主義的な農業は非効率で、生産性向上には資本主義的農業経営への移行が不可欠だった。

  • 各国の工業化にともなう農業生産性の向上過程をみても、小農中心のままで効率化を実現した地域は多い。

  • イギリスでは次第に地主の立場が強まり、謄本保有農から定期借地農への切り替えが進行したことでヨーマンの没落が起きた。ヨーマンの没落とエンクロージャーによる開放耕地制村の消失が並行して進んでいった。地代上昇はエンクロージャーによる生産性向上が起因ではなく、地主の交渉上の立場が強化されたからである。

また、イギリスの経験を規範とし農業経営の大規模化が不可欠とする考え方を一般化したことについても、アレンは批判しています。

日本におけるエンクロージャー

著書では、島崎藤村の小説「夜明け前」で描かれた明治新政府による地租改正と官有林化政策への失望を、日本におけるエンクロージャーの例として取り上げています。
 
「夜明け前」は檜の美林地帯だった木曽山を舞台にしており、木曽山は幕末まで尾張藩が藩営林と巣山、留山、明山に分けて管理*していました。
地租改正では山林を民有林または官有林に分類され、幕藩体制下の藩所有物は新政府が継承する方針により、藩管理の明山も官有林とされました。農民がコモンズ的に共用していた入会山が奪われ官有林化してしまったのです。農民の暮らしはコモンズ的管理の入会山に支えられていたため、入会権を取り戻す闘いが続けられました。
 
* 巣山・留山は禁伐林を設け住民の立ち入りを禁じ、これ以外は明山で自由に立ち入ることができる開放林として管理。(国土交通省 中部地方整備局 木曽川下流河川事務所HPの情報から簡略説明)

新たなエンクロージャーとカウンターヘゲモニー

序章で触れられていますが、1990年代から「コモンズの復権」が注目されています。これは、地球環境問題の深刻化と、情報・知識のデジタル化によって起きています。「コモンズの復権」と「新たなエンクロージャー」は裏表の関係ですが、新たなエンクロージャーは、資本主義の枠組みを再構築する動きと捉えることができます。
新たなエンクロージャーは何を囲い込んでいるのでしょうか。共有財産としての知識・情報を考える概念として、クリエイティブ・コモンズ創設者の一人、ジェームズ・ボイルは「パブリック・ドメイン」と「コモンズ」の二つに着目します。

  • 「パブリック・ドメイン」― 著作権による保護の対象外領域

  • 「コモンズ」― 著作権者が著作物の利用者に、独特の利用ライセンスを与える

90年代半ばからサイバースペースにおいても「コモンズ」という用語が使われるようになりました。
クリエイティブ・コモンズの考案者ローレンス・レッシグやCommons-based peer production概念を作ったヨハイ・ベンクラーは、情報・知識の共有を阻害することが知識創造性を妨げるという問題を挙げ、知的財産権の強化という新たなエンクロージャーに対抗し、コモンズとしてのインターネットの可能性を活かせる仕組みを工夫しようとしました。
GPL(General Public License)も、クリエイティブ・コモンズ**も、利用者へのライセンスを工夫し、情報資源を共有して知的創造を促すコモンズを作ろうとする動きです。
** クリエイティブ・コモンズ・ジャパン https://creativecommons.jp/

新たなエンクロージャーとカウンター・ヘゲモニーの例として、本章では生態的種子コモンズのエンクロージャー、都市コモンズのエンクロージャー、デジタル・コモンズが挙げられています。これらは先の第4章から第6章でそれぞれ考察を深めます。新たなエンクロージャーに対抗するカウンター・ヘゲモニーがそれぞれの領域で生まれてきていますが、異なる領域のカウンター・ヘゲモニーの横断と、コモンズ思考を結びつけてシナジーをもたらすことが重要な課題です。異なるコモンズ思考がお互いに補完、補強し合うことが、ポスト資本主義社会への道を拓くのではないでしょうか。

ゼミでの議論

エンクロージャーが起こる背景

イギリスにおけるエンクロージャーについて、時代背景が大きく影響していることが挙げられました。第二次エンクロージャーは、産業革命下で資本の集中と大規模工業化の流れにありました。またイギリスはこの当時すでに議会民主制が確立しており、第二次エンクロージャーは「議会エンクロージャー」とも言われているように、議会を通じて合法的に囲い込みが推し進められました。日本のエンクロージャーの例では、当時は明治政府の改革によって廃藩置県、地租改正などが進められ、資本主義社会に向かう時代でした。社会の仕組みが変わるタイミングで、エンクロージャーを正当化する理由を与えているのではないでしょうか。また、デジタル化が進む現代では、サイバースペースの地主と借地人のような関係が存在し、プラットフォーマーという名の大地主のもとで「デジタル小作人」となる状況を生み出しているという話もありました。

感想

クリエイティブ・コモンズ・ライセンスは、デジタル化が加速する現代社会で今後さらに発展する可能性があると感じました。個人や組織で制作したものをインターネット上で発信することが容易になったことで、「共有する」ことに対する選択肢の議論やルール作りに関与する人は増えると思います。
顔が見える距離の人々との信頼関係と自治能力で成り立っていた過去のコモンズから学び、今の時代に適したコモンズを考え実現することが、これからの組織や社会をデザインすることにもつながると思いました。
COVID-19のパンデミックをきっかけに、価値観や人間関係を揺さぶられた人は多いと思います。私個人の話ですが、遠出を控える生活で改めて自分の地域の良さを発見したり、新しいご近所付き合いが始まったりしています。都市生活でこれまで見過ごしていたことに目を向けるようになり、地域や社会との関わり方を再考しているタイミングで素敵な本に出会えたと感じています。


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